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令和5年(2023)3月18日(土)
古河宿〜2.8km〜野木宿〜(6.9km)〜間々田宿〜(6.4q)〜小山宿

 スタート9時13分 歩いた距離18.2km 4時間18分
 昨年10月に東海道の徒歩の旅を完遂したが、日光街道も残っていた。ここは平成23年9月に古河までの旅で止まっている。
 3月21日(月)にお休みをもらい連休にして、日光街道の残りの続きを歩くことにする。前日の夜に成田空港に入り、成田空港で一泊して電車で乗り継いで前回の終了地の古河に向かう。
 古河に到着(1)(2)。小降りだが雨が降っている。コンビニで傘を買って歩くことにする。ザックカバーを忘れてしまったので、ザックにゴミ袋をかける。駅前に歌碑があった(3)。「逢(あ)はずして 行かば惜しけむ 真久良我(まくらが)の 許我(こが)漕ぐ船に 君も逢はぬかも」。「日光街道をあるく」(大高利一郎著)では、市街地内に各種史跡があるが雨模様なので、街道歩きに徹する。

【古河宿】
 町を歩き、国道から西側に一本のところの古い道が旧街道である。街道に入りすぐに「田中正造翁遺徳之賛碑」(4)があったがどこにあるかわからなかった。道標を見つける(5、6)。左が日光道、右が筑波道と書いてあり、文久元年(1861)に建てられたようだ。この旧道は「よこまち柳通り」(7)と呼ばれているそうで、古い町並みが残っている(8、9)。石碑があったが「関東の奇祭 古河提灯竿もみ祭り発祥の地」と刻まれている(10)。旧道を終了し(11)、車道でもある国道4号線を歩く。

【野木宿】
 野木神社(12)を過ぎると民家の壁に野木宿の表示があった(13)。野木宿は開発が進み、昔の面影はなく、民家の説明板や一部の道標(17)のみが、その名残を示してくれている(14、15)。一里塚も民家になっていた(16)。後ほどの宿でも出てくるが、説明板もない宿もあるので、野木宿の方がましだった。観音堂(18)の当たりで野木宿は恐らく終了。

【間々田宿】
 野木からしばらく歩くと乙女という集落、小山市に入る(19)。間々田は「ひも」の製造が有名なのだろうか(20)。間々田駅を過ぎて、市街地の中が間々田宿だった。住宅前の本陣説明板やお地蔵さんのみが当時の名残を示す(21、22、23、24)。

 
【千駄塚(浅間山)古墳】
 間々田宿を過ぎて、左手にこんもりとした森が見えて行って見ると浅間神社・千駄塚古墳だった。この辺はイノシシがでる。説明板の概要は、直径約70m、高さ10mの墳丘で、築造年代は6世紀代だという。舗装の参道を登り浅間神社に御参りして道に戻る(25〜30)。

 この辺から雨脚が強くなり、全身がずぶ濡れになり、体も冷えてきた。疲れも相まってモチベーション下がりまくりである。それでも立派な神社が見えてきた。安房神社である。説明板を読むと安房神社であり、平安時代中期の延喜式にも記載されている古い神社で、崇神天皇の時代に、千葉県館山市の安房神社を祀る人が移住して、粟の栽培をしたことが由来だという(31、32)。
 
 小山市街に入り、国道4号から離れて線路沿いの道を歩く。雨が土砂降りになってきてモチベーションがさらに下がる。小山宿と小山駅は近いはずだが、なかなか到着しない。ようやく小山駅近くの小野塚イツ子記念館(33)と、徳川家康が小山評定を行った須賀神社の入口(34)を撮影して、小山駅に到着。当初は次の新田宿、小金井宿まで行こうと思ったが、雨で身体が冷えて、疲れ切ってしまったので、小山駅でJRに乗り、宇都宮の宿に向かう。

 
 
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