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平成23年6月13日(土)
10:35 日本橋 |
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無謀にも、東海道五十三次を走ることにした。昨日は仕事で2時まで残業し疲れていたが、9時に家を出て、東京駅に向かう。仕事で行くのとは気分が大違いだ。 | |||
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↑東京駅近くの、日本橋から出発。道路の真ん中に「日本国道路元標」がある。車が多いが合間を縫って撮影。 | |||
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↑なにやら書いてあるが、忘れた。日枝神社のお祭りをやっていました。 | |||
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↑国道15線を南に下り、銀座の町並みを走る。 | |||
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↑平和の鐘 | ↑銀座の警察博物館 | ||
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↑銀座の町並み。ブルガリ、松坂屋。 | ↑汐留の日テレなど。 | ||
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↑浜松町の由来 | ↑屋形船 | ||
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・ 左上は、江戸開城を決めた西郷隆盛と勝海舟会見の地(もと薩摩藩三田屋敷) ・上と左は、御田八幡神社。以下、ネット。和銅2年(709)、牟佐志国牧岡(むさしのくにまきおか)というところに、 東国鎮護の神様として鎮祀され、延喜式内稗田神社と伝えられた。 その後、寛弘8年(1011)武蔵野国御田郷久保三田(みたごうくぼみた)の地に遷座され、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。俗に「綱八幡」と称する。 江戸開幕のみぎり、僧快尊が元和5年(1619)現社地を卜して造営を開始し、寛永五年(1628)8月に遷座した。別当は八幡山宝蔵寺と称し天台宗に属する。 神仏分離により別当僧復職し神主職に就いた(石田弾正)。明治2年9月稗田神社と称号した。同7年1月に三田八幡神社と改称し、同30年4月三田の冠称を御田の旧名に復し御田八幡神社と称号するに至った。 昭和20年5月に、米軍による東京大空襲により、江戸時代のご社殿を焼失する。昭和29年に、本殿権現造、幣殿・拝殿・神楽殿・社務所を再建した。 平成21年は、神様をお祀り申し上げてより1300年の佳節を迎えた。 |
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↑泉岳寺。赤穂四十七士のお墓に線香と手を合わせる。 | |||
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品川から国道15号線をはずれて品川宿、現在は商店街に入る。昔の江戸時代の道幅が最大限4km残されているのはここだけ。 | |||
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↑ずーっと商店街が続く。 | ↑嘉永6年(1853年)、土佐藩抱屋敷に設けられた砲台跡。近年、敷石の一部が発見された。現在は埋め立てが進み、往時の面影もないが、かつて勝島運河を含む東側には海が広がり、坂本龍馬も土佐藩抱屋敷(浜川砲台跡)の警護に動員されたという。 | ||
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鈴ヶ森刑場跡。手を合わせてからゆく。 | |||
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↑蒲田をすぎて、多摩川を渡る。天気がよいが暑い。昔は六郷の渡しといわれていたそうな。 | |||
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←最後に川崎稲荷。川崎の街も都会だ。 |