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令和4年(2022)10月9日(日)
歩いた距離19.8km 4時間36分 |
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東海道五十三次徒歩の旅も最終日、朝方まで雨模様なので、9時頃まで宿にいて、弱まったころを見計らって、宿の浜大津から昨日の最終地点の石山駅に京阪電車で戻る。そのまえに注釈。大津湊近辺は大津城(1)があったところだ。 【大津城】 浅野長政が築城し、関ヶ原の戦いの関連でここでも戦いがあったようだ。関ケ原の戦い後廃城になり、その後、膳所城が築城されたそうだ。 城郭構造:平城 天守構造 望楼型4重5階(1586年築・非現存) 築城主 浅野長政 築城年 1586年(天正14年) 主な城主 浅野長政・増田長盛・新庄直頼・京極高次・戸田一西 廃城年 1601年(慶長6年) 遺構 埋没(堀等) 指定文化財 未指定 再建造物 なし 石山駅まで電車で移動し出発、右手に工場群がみえ(2)、すぐに若宮八幡神社の表門(3)があった。ここは膳所城の門を移築したものだ。交差点を何度か右折左折して、膳所城に立ち寄る。立派な門(4)をくぐると大きな公園があり、説明板(5)、本丸跡に城跡の石碑(6)があった。本丸の上に登城し(7)、さらに奥にいくと海(8)であった。帰りがけにお堀(9)を確認。 【膳所城】 別名:石鹿城、望湖城、城郭構造:梯郭式平城、 天守構造:4重4階(非現存)、築城主:徳川家康、築城年:慶長6年(1601年)、主な改修者:本多俊次、主な城主:戸田氏、本多氏、廃城年:1870年、遺構:石垣・移築櫓・城門、指定文化財:国の重要文化財(大手門、北大手門、 南大手門 ※全て他所へ移築)、再建造物:模擬門 東海道に戻る。梅香山縁心寺(10)は膳所城主の菩提所だ。石坐(いわい)神社(11)は天地天智天皇8年(669年)だからこれまた古い。鳥居だけ撮影して進む。法傳寺には天智天皇御尊牌奉安(12)という碑があった。この辺には天智天皇の史跡が多い。 膳所城北総門跡(13)を過ぎると義仲寺に到着(14)。中に入ると木曽義仲公の墓(15)があり、その奥に松尾芭蕉の墓(16)があった。手を合わせて旧街道を進む。 大津市の中心部に入ってきて、民家で古地図展示などと表示しているので入ってみると、お爺ちゃんが大津の歴史、特に京阪鉄道や埋め立てなどの歴史について話してくれた(17、18)。 滋賀県庁(19)を過ぎて宿場に入ってきた。昨日までの大津祭りの山車を解体している(20)。風情のある饅頭屋(21)、露国皇太子遭難地の碑(22)を過ぎ、京阪電車の通(23)に突き当り左折すると大津宿本陣(24)である。ここには本陣2軒と脇本陣1軒が八丁筋におかれ、旅籠が多数あり、北国街道と東海道の合流地点であり、繁栄を極めていたが遺構は残っていないそうだ。 草津本陣の後、京阪電車沿いに坂道を登っていくと関蝉丸神社(25、26)。歌舞音曲・芸能の祖神で嵯峨天皇の頃822年の創始というから、ここも古い。急坂を登っていくとここは逢坂というそうだ。日本書紀における神功皇后の将軍・武内宿綱の物語があったところで、京都と近江を結ぶ交通の要衝で平安時代には逢坂関があったところだそうだ(27)。京阪電車と国道の双方を見ながら登っていく(28)。関蝉丸神社上社を遠くに見て高度を上げていく。逢坂常夜灯もある(30)。 峠近くになると車石などの説明パネルがあった(31、32)。そして峠に到着(33、34)し、旧道に入っていくと蝉丸神社の階段があり登って見ると社殿の後ろは登山道のようだ(写真なし)。 旧道はウナギ屋、住宅街もあり大谷町と呼ばれているそうだ(35)。京阪電車の駅もある(36)。この付近で大津算盤が売られていて、その始祖の片岡庄兵衛(37)の碑があった。 高度を下げていき街になってくると走井餅本舗に到着(38)、お茶と八ツ橋を食べて小休止。そこからは名神高速と国道1号の複雑な交差点で、歩道橋を2カ所程度渡らねばならず、少し迷った。それでもなんとか山科追分に到着。この辺は近江と京の国の境で、大津絵発祥の地だそうだ(39、40)。 車石(41)の説明板のあと旧道に入ると京都市に入った(42)。住宅や商店が多くなり(43)、古いお堂が見えてきた。山科地蔵と徳林庵(44)だそうだ。この辺は山科駅で結構都会だ。 旧街道をしばらく歩き、国道1号線に戻り、疲れているが天智天皇陵に立ち寄る(45)。そして脇には琵琶湖疎水が流れている(46)。再び旧街道に入っていく(47、48)、この辺は説明板もなく分かりにくい。再び人家も少なくなり坂を登っていくとと日ノ岡峠(49)で、大きな車道に合流(50)。そして車石の広場に到着(51)、栗田口刑場跡は怖くて行けなかった。 蹴上浄水場を過ぎると京都の街並みらしくなってきた(52〜54)。お祭りをやっているようで(55)、人が集まっているところにいくと粟田神社のお祭りだった。阿弥陀鉾という剣鉾を街に繰り出されていた(56)。粟田神社をあとにし、坂本龍馬とお龍の結婚式場があり(57)、明智光秀の塚に立ち寄る(58)。本当に歴史の遺物に溢れている。 そして京都三条大橋に到着、東海道五十三次の旅、完遂。万歳! |
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