令和5年(2023)3月21日(火)今市宿~7.9km~鉢石宿
スタート6時頃 歩いた距離9.8km 1時間53分
前日に日光に泊まり、翌朝の始発で東武日光駅から下今市駅に向かい。今市宿を走り始める。まだ暗いが、今市報徳二宮神社にお参りする。少し走ると道の駅「ニコニコ本陣」があった。如来寺は、文明年間(1469~1487)の創建で、1632年(嘉永9年)徳川家光が日光社参にあたり、この寺内に御殿を造営し宿所としたそうだ。明るくなって道の状況がわかってきた。たまり漬けのお店と今市宿の標柱を通っていく。
今市宿が終了すると杉並木に入る。時折住宅地に出るが、基本的に並木の中を走っていく。戊辰戦争の時の砲弾跡がある杉があるそうだが、よくわからなかった。1768年に創建された野口薬師堂にお参りする。墓場の向こうに山並みが見えてきた。杉並木が終わり、国道と合流する。歩道が狭くて車が怖い。弘法の霊水の標柱があったが、どこかわからなかった。明治天皇七里小休止所は明治9年に明治天皇がお休みになったところだ。
日光の市街に近くなってきて、また少し杉並木があった。東武日光線の高架下を通る。山並みがさらに綺麗になってきた。「史跡 日光並木街道及び並木寄進碑」を発見。
東武日光駅を過ぎると日光の街並みに入る。男体山も見えてきた。竜蔵寺は、1213年(建保元年)に畠山重忠の子重慶が営んだ草庵に始まるというから古い。山並みがさらに綺麗だ。
道がカーブになり、古いお店が出て、旧日光市役所があった。この辺が昔の鉢石宿なのだろう。この日光市役所庁舎は明治38年(1905年)というから古い。交差点が近くなり、古いお土産屋が出てくると鉢石宿は終了なのだろうか。
日光橋のところに天海大僧正の像があった。説明板を転載。天海は、明智光秀ではないかという話もあるが、それは書かれていなかった。当たり前か。
【天海大僧正】
天海は比叡山で天台宗の奥義をきわめた後、徳川家に仕え、日光山の貫主となる。当時の日航は、豊臣秀吉に寺領を没収され、荒廃の極にあった。家康が亡くなると天海はその遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移して、東照宮の創建に尽くした日光山中興の恩人である。天海は寛永20年(1643)108歳で大往生した。この銅像は、日光出身の彫刻家、倉沢実の作。
日光橋では、神橋や渓流などの景観が楽しめる。ここで旧日光街道の旅は終了。
宿 | 距離(累計) | 年月日 |
1日本橋 | 0(0) | 平成23年(2011)1月8日(土) |
2千住 | 8.7(8.7) | 平成23年(2011)1月8日(土) |
3草加 | 8.7(17.4) | 平成23年(2011)1月8日(土) |
4越谷 | 7.0(24.4) | 平成23年(2011)1月8日(土) |
5粕壁 | 11.1(35.5) | 平成23年(2011)9月19日(月) |
6杉戸 | 6.2(41.7) | 平成23年(2011)9月19日(月) |
7幸手 | 6.7(48.4) | 平成23年(2011)9月19日(月) |
8栗橋 | 8.2(56.6) | 平成23年(2011)9月19日(月) |
9古河 | 6.1(62.7) | 平成23年(2011)9月19日(月) |
10野木 | 2.8(65.5) | 令和5年(2023)3月18日(土) |
11間々田 | 6.9(72.4) | 令和5年(2023)3月19日(日) |
12小山 | 6.4(78.8) | 令和5年(2023)3月19日(日) |
13新田 | 5.1(83.9) | 令和5年(2023)3月19日(日) |
14小金井 | 3.2(87.1) | 令和5年(2023)3月19日(日) |
15石橋 | 5.9(93.0) | 令和5年(2023)3月19日(日) |
16雀宮 | 6.4(99.4) | 令和5年(2023)3月19日(日) |
17宇都宮 | 8.0(107.4) | 令和5年(2023)3月19日(日) |
18徳次郎 | 9.3(116.7) | 令和5年(2023)3月20日(月) |
19大沢 | 9.4(126.1) | 令和5年(2023)3月20日(月) |
20今市 | 7.9(134.0) | 令和5年(2023)3月20日(月) |
21鉢石 | 7.9(141.9) | 令和5年(2023)3月21日(火) |
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