令和5年(2023)12月17日(日) 由仁町東三河
江別野幌プールで水泳イベントの後、国道274号線を走っている途中、東三河地区で石碑等が並んでいるのを発見。
【開拓地蔵】・・・お地蔵さんがあり、その隣に説明板がある。概要は以下のとおり「開拓地蔵の話 東三河の開拓が始まったばかりの頃の話。三河から東三河への旧道はもとの片山木工場のところから夕張川まで真っすぐに切り開いたみちだったので、谷地あり藪有でまともに歩ける道ではなかった。その道の川端さんの方へ降りる坂の真ん中に四つ股のイタヤの大木があったが、倒すのが難しいので、誰も手を付けないでいた。その頃加藤農場に働きに来ていた白市太郎という人が、邪魔な木だということで、仕事の帰りに一人でこの木を切ったところ、ぶどうの蔓が絡まって思わぬ方向に倒れ、市太郎はその木の下敷きになって死んでしまった。農場主が、そのことを大変哀れに思い、二度とこのような不幸が起こらないように、またその場所が丑寅の鬼門だったから、鬼門除けと合わせて地蔵さんを建てた(以下略)。加藤平兵衛 由仁の昔話 渡し守より」。
【頌徳】・・・漢文で以下のようなことが刻まれていた。全ては読み取れない。「姓 今野 名 譲 仙台人 侍 長男不幸幼 当地十字 教育九年 苦不文 昼夜 児童薫陶青年指導 生学系家有天凛才能 筆名 交際 有村子称 加藤平五郎」裏面には、「国道274号線の拡幅に伴い再建 昭和48年10月17日 東三川自治会」
【東三川開拓之碑】・・・左記のとおり刻まれ、下に「北海道開発庁長官 町村金五書」と刻まれている。その下の基台には、歴代町村議会議員、教員、区長などの名士の名前が刻まれている。裏面には次のとおり碑文が刻まれていた。「碑文 此の地東三川の開拓は明治甘七年加藤平五郎翁の国有未開地実地調査に始まる 若き入植者達は前人未踏の密林を伐り道を拓き熊笹を刈り悪水を抜きあらゆる困苦欠乏に耐え荒地の開墾に情熱を燃やし続け遂に不毛の原野の開拓に成功したのである 今開基八十周年を迎え豊かに稔る七百数十ヘクタールの沃野を眺め偉大なる先人達の業績を称え感謝と追慕の念を永遠に伝えるためこの碑を建てる 昭和四十九年九月 東三川自治区一同 文 加藤平兵衛 書 佐々木明」
もう一つの碑はよくわからなかった。そして石のままの黒い碑には、「たがやして 夕焼空に 祈る母 博」と刻まれていた。
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