令和5年(2023)7月16日(日)
津別町役場~(国道240号線の西側の道路)~岩富地区(つべつ玉葱発祥乃地碑)~活汲地区(津別町開基紀念乃碑等)~(国道249号線)
15.4km 1時間56分
美幌の牛肉祭に参加する前に、津別町で史蹟ランニング。今日の目的地は「つべつ玉葱発祥之地碑」である。走り始めてすぐグーグルマップに載っている津別駅逓跡を探したが見つからなかった。しかし、津別神社を見つけることができた。国道を往復しても面白くないので、川の向こうの農道を走ることにする。しばらくは、小麦畑、玉ねぎ畑の中を走っていく。農家の住宅もあったが、一か所森の中を走るところがあり、熊が怖かったが、なんとか走り抜ける。そして、また田園地帯に戻り、一か所水田を通り、交差点に着くと「つべつ玉葱発祥乃地」碑があった。
【つべつ玉葱発祥乃地】碑
碑文 津別町の玉葱の創始は、昭和40年網走川沿いの肥沃な岩富の大地に、矢作敏夫氏が直播で20アール作付したのに始まる。病害、雑草との戦いながらも、昭和45年には岩富で1.2ヘクタールとなり、昭和46年には耕作者7名で13ヘクタールと広がり、「北見玉葱」が日本一の産地となった原動力となる。昭和47年4月、津別町玉葱振興会が、共計共販を目的に設置される。又、指定産地に伴う集出荷施設が建設される事になり、初代会長に、細川昇氏が就任され、「良い玉葱、作る心が産地を守る」を合言葉に達美、共和、恩根、本岐地区でも栽培されるようになり、爾来20年、一般畑作の低迷の進む中、会員45名、面積255ヘクタールとなる。ここに先駆者の偉業を讃えるとともに、20周年を記念しこの創始の地に碑を建立する。 平成4年2月14日 津別町玉葱振興会 二十周年記念事業協賛会
岩富地区から、国道に戻ると活汲地区であり、石碑等が三つあった。
【津別町開基紀念乃碑】
(表面上部)津別町開基紀念乃碑 津別町長 林利博 (表面下部)この碑は活汲に旧土人救済事務取扱所が設置された年(明治十六年)からかぞえて70年、また美幌村より分村独立した年(大正8年)から数えて35周年を迎えた昭和29年に記念事業によって建立された開基紀念碑であるが、64年が経過し老朽化してきたことから碑の部分を修復し、活汲78番地1地先の河川敷地より移設建立したものである。平成30年11月30日 津別町長 佐藤多一 (裏面)明治十六年四月根室県庁ハ此地活汲二(此碑ヨリ西南約二百米ノ地)ニ旧土人救済事務所ヲ設置シ津別美幌両町地域二治政ヲ行フ之本町ノ開基ナリ今二十年美幌二移転東二大正八年四月美幌村ヨリ分村シ茲二津別村ヲ創ル今ヤ人口一万五千耕地五千余町林野六万五千町総生産年二三億円ヲ算シ管内屈指ノ町勢ヲ示ス之先住アイヌ諸君の自然保存ト我ラカ先人開拓ノ賜二シテ眞二偉績ナリ茲二津別町開基七十周年開村三十五周年式典二際リ吾等ハ至誠以ツテ日本再建二寄与スルの信念ヲ発揮シ真理ヲ求メ総親和総努力二依リ理想郷ノ建設ヲ期シ開基ノ地ヲ表ス 昭和二十九年九月九日 奉典委員長 林利博撰
【(表面)開校記念碑】(裏面)よく読み取れず昭和。
【(表面)開拓の碑】(裏面)この標柱は明治三十五年和人として最初に津別町に入植された小沼常之助翁が開拓を祈念して活汲90番地に建立したものであるが、腐朽が著しく保全のため、この地に移設建立したものである。平成四年三月十九日 津別町長 小南甲三撰
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