令和5年(2023)11月4日(土)
札幌帰省中、家から平岸プールまで約10㎞を歩いていく途中、札幌市内の史跡等を訪問。
【豊川稲荷】・・・札幌市中央区南7条西4丁目1-1にある曹洞宗玉宝禅寺の別称とのこと。説明板に次のとおり記載されていた。「豊川稲荷 札幌別院 略縁起 愛知県豊川市曹洞宗妙巌寺は、御本尊に、寒巌義尹禅師伝来の千手観音を安置し、鎮守として禅師御感見の善神「豊川咜枳尼真天」を祀る。この善神は通称「豊川稲荷」と呼ばれ、その起こりは七百数十年の昔、文永元年、寒巌禅師入宋求法をおえ、帰国の為御乗船の際、海上にて忽ち霊神現じ、妙相端麗にして稲穂を荷い、手に宝珠を捧げ、白狐に跨るお姿を御神示あり、禅師は深く感動せられ、帰国後示現のお姿を自ら刻み守護神として祀られる。これより代々相伝せられ、東海義易禅師により豊川の地に、円福山妙厳寺を開創と共に鎮座し、東海地方の名刹となる。因に「豊川咜枳尼真天」現じ給える時の御神示の中に真言有、「オンシラバッタ二リウンソワカ」と申す。これを要約すれば正しい戒力により、悪事災難を除き、福徳智慧を得て苦を抜いて楽となし、悲しみ転じて喜びとなす事が必ず成就するという意味である。その分霊は、全国至る所に祀られており、当院は明治31年に別院として開創され、以来幾多の霊験を現じ今日に至る。尚、1階には、清田区北野にある「曹洞宗玉宝禅寺」の祖院として、仏事全般をつかさどっている。平成8年秋、大祭記念 院代 修導 記」
正面入口から境内に入って左手に、屋根に覆われた石碑があり、「薄野娼妓並水子哀悼碑」があった。は次のように記されていた
【「薄野娼妓並びに水子哀悼碑」建立のいわれ】
薄野は明治四年、当時の判官により開拓労務者の“足止め策”として薄野遊郭を置いたのが起源であります。その開拓を支えた遊郭の娼妓たちを供養し、さらにはその陰にある水子と、現代の水子(見ず子)の霊を慰める目的で北海道知事、堂垣内尚弘氏から碑文を頂き建立したのが、この哀悼碑であります。昭和五十一年五月二十五日記 薄野花街哀悼碑建立期成会 合掌」
すすきのを後にし、幌平橋を渡って中の島の手前に、「幌平橋架設記念碑」があった。思いもかけず石碑を発見。
【幌平橋架設記念碑】
石碑には中央に「幌平橋架設記念碑」と刻まれ、右手にはおそらく「創設者 河合才一郎氏」と刻まれ、左側には「中の島 平岸 有志建立」と刻まれていた。基台に説明板が刻まれていたが、達筆すぎてよくわからない。昭和23年11月28日とだけ記しておこう。
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