令和5年(2023)12月24日(日) 豊頃町大津地区 2.3km 23分
今日の目的地である吉方の南、豊頃町大津地区を走ることにする。当初は長節湖まで往復するつもりだったが、あまりにも寒いので、大津集落の中だけを走ることした。当初はジュエリーアイスを見に海岸に行ったが、よくわからなかった。しかし広大だ。西の方には日高山脈がよく見える。
走り始めに「開村50年記念碑」があった。裏面には「昭和4年11月8日建立」とだけ刻まれている。町を西に少し走るとお寺があり、石碑があった。
【故巡査大友陽之助碑】・・・曹洞宗大林寺の境内にその碑はあった。ネットで検索しても、よくわからない。裏面にも何か刻まれているが、よくわからない。
集落の中を西の方に走り、駐在所のところに「十勝発祥乃地」碑があった。
【十勝発祥乃地】・・・表面には左記のとおり刻まれ、「勲五等豊頃町名誉町民 堺哲弥書」と刻まれている。裏面の記載は次の概要のとおり「徳川幕府は寛政11年(1799)今から180年前に、初めて駅馬を備え行客の用をなした。漁場が開発されて番屋がおかれ、旅宿所も建てられた。このように大津は、漁業発展とともに十勝内陸地帯の開発の門戸として、海運及び道路交通上の重要な拠点となったのである。文久3年、青森県の堺千代吉が大津に住みつき、漁場を経営したのが和人定住のはじめである。明治13年に十勝外四郡の戸長役場が大津に置かれた。この当時から内地府県よりの移住者は、艀で大津港に上陸し、十勝管内奥地に入植し、十勝の経済文化の発展の役割を果たしたので、十勝発祥の地として後世に伝えるため開基百年を記念しこの碑を建立した。昭和54年11月16日 建立 豊頃町長 神田貞雄」。
説明板【十勝近代史発祥の地-大津】・・・石碑の裏面とは重複しているところは割愛し概略を転載。「大津とはアイヌ語の「ヲホツナイ」(深い枝川)に由来。17世紀にトカチ場所が置かれていた。寛政11年に馬7頭が配置。文政8年に福嶋屋杉浦嘉七が場所を請負。1828年に大津稲荷神社を創建。安政3年に松浦武四郎が宿泊したとされている。1861年に青森県大畑出身の堺千代吉が福嶋屋に雇われ活躍。定住したときは6戸だった。「大津の繁栄」は明治以降の話であり割愛。
交差点まで走り、折り返して1本北の市街地を走って戻る。大津稲荷神社には「絵馬カムイノミの図」があるらしい。カムイノミはアイヌが酒をさだげ神に祈ることであるが、この図は、日本画家、河鍋暁斎(1831~1889)が明治5年に収めたものらしい。
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