音更町・葭原小学校の碑等

石碑等(開拓記念碑)

令和5年(2023)10月29日(日)

本別町から音更町に向かう途中、道道31号線(音更池田線)と道道498線(長流枝枝内木野停車場線)の交差点のところに、表題の碑などを見つけた。古い校舎も残っている。

「閉校記念 力強くはばたけ 題字 八代校長鈴木晃一書 音更町・葭原小学校の沿革」(以下碑文の概略) 明治42年12月開校 市川喜作氏 西尾桑次郎氏 鈴木吉長氏等を中心に部落民一丸となり私財と汗とで15坪の校舎を建て児童数14名で開校。戦後は中学校も併設、時代とともに児童数も激減。閉校迄70年間に216名の卒業生を送り出す。昭和54年3月25日建立。

標柱「戯曲 火山灰地 素材地」(以下説明板の概略)昭和7年、全国農民連盟北海道連合会オサルシ支部を中心に、焼子争議が発生。焼子の作業中の事故で報告がなかったことを理由に解雇、これに抗議。ワッカクンネップの沢沿いに、親方宅に解雇撤回行動(借金棒引き、検束者の釈放を含む)を行い、最後に親方は調停案を呑む。山で働く人々が歓喜。林産物検査所もあった。劇作家、久保栄が昭和12年に発表した戯曲「火山灰地」の一部のかま前検査の素材地である。

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