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ひふみ神示  第一巻 上つ巻


第一帖(二二は晴れたり日本晴れ・・・。終末、大洗濯、身魂を磨くこと、日本は神の国
第二帖(親と子であるから、・・可愛いから旅の苦を・・・。 食べ物がなくなっても死にはせぬ)
第三帖(善言(よごと)は神・・・。今にこのお告げが一二三ばかり・・・。海が陸に・・・)
第四帖(急ぐなれど、臣民なかなか言ふこときかぬ・・・。卍も一十もあてにならぬ)
第五帖(富士とは神の山のことぞ。・・・身のなかに神をにて張ることぞ。・・・)
第六帖(外国の飛行機が・・・。大切なことを忘れているのに気がつかんか。・・)
第七帖(いくら金積んでも・・・。小さい病直しや按摩の真似させんぞ・・・)
第八帖(秋が立ちたち・・・。よく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ)
第九帖(この世のやり方、わからなくなったら、この神示録をよまして呉れ・・・日本の国は一度つぶれた様になる)
第十帖(神に目を向ければ神がうつり・・・。)
第十一帖(いづくも土にかへると申してあろうが・・・)
第十二帖大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに
第十三帖(元の人三人・・・。落ちぶれてゐる臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ)
第十四帖(この神示(ふで)よく読みて呉れよ、読めば読むほど何もかも分りて来るぞ・・・。身と魂のわけ隔てないぞ・・・。)
第十五帖(今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教・・にしてはならんぞ)
第十六帖(ひふみの火水とは結ぞ・・・)
第十七帖(この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、お土からとれた物、みな先ず神に供えよ・・・)
第十八帖(岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。・・・)
第十九帖(神の国・・・、嬉し嬉しの世・・・、掃除すれば誰でも神かかる・・・)
第二十帖(・・・、神にはひとのいふ善も悪もないものぞ・・・、岩戸開くぞ・・・)
第二十一帖(世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ)
第二十二帖(外国強いと見れば、外国につく臣民沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ)
第二十三帖(神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから・・・)
第二十四帖(七の日はもののなる日ぞ・・・)
第二十五帖(一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから・・・)
第二十六帖(「あ」の身魂とは天地のまことの一つの掛替ない身魂ぞ・・・)
第二十七帖(何もかも世の元から仕組みであるから神の申すところへ行けよ・・・)




第一帖(一)

二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる。仏もキリストも何も彼もはつきり助けて七六かしい御苦労のない代がくるからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通うして呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初って二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん。人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積もりでかかって来い、神の国神の力を、はっきりとみせてやる時がきた。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来るは神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終わらぬ道理が分からぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん。何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越えて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分からん臣民ばかり、口と心と行うと、三つ揃うたまことを命(みこと)というぞ。神の臣民みな命になる身魂掃除身魂結構、六月の十日、ひつくのかみ。

第二帖(二)

 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先のさへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇の後には夜明来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。早く(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早くモト心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛棒して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやりかたぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の智恵で一つでも善きことしたか、何もかも出来損ひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。の国を八つに切って殺す悪の計画、の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。六月の十日、書は、ひつくの神。てんめ御苦労ぞ。

第三帖(三)

 善言(よごと)は神、なにも上下、下ひっくり返ってゐるから、分からんから神の心になれば、何事も分るから、鏡を掃除して呉れよ。今にこのおつげが一二三ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、みよみよみよひつくの神。 

第四帖(四)

 急ぐなれど、臣民なかなかに言ふこときかぬから、言ふこときかねば、きく様にしてきかす。神には何もかも出来てゐるが、臣民まだ目覚めぬか、金のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りて呉れよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をだしにして、今の上の人がゐるのにいるから、神の力が出ないのぞ。お上に大神を祀りて政事をせねば治まらん。この神をまつるのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りてみつげを世に広めて呉れよ。早く知らさねば日本がつぶれる様なことになるから、早う祀りて神の申すようにして呉れ。神急けるよ。上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃ふたよき世が神の世ぞ。卍も一十もあてにならぬ、世界中一つになりての国に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか、分からねば神にたづねて政事せねばならぬと云うことまだ分からぬか。神と人とが交流(まつり)合わしてこの世のことが、さしてあるのぞ。人がきかねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけてゐるのに何してゐるのに何してゐるのざ、いつ何んなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。二三の木の花咲耶姫の神様を祀りてくれよ。コハナサク姫様も祀りて呉れよ。六月十三の日、ひつくのか三。

第五帖(五)

  富士とは神の山のことぞ。神の山はみな富士といふのぞ。見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身のなかに神をにて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。大庭の富士を探してみよ、神の米が出て来るから、それを大切にせよ。富士を開くとは心に神を満たすことぞ。ひむかとは神を迎えることぞ、ひむかはその使いぞ。ひむかは神の使いざから、九の道を早く開ひて呉れよ。早う伝へて呉れよ、ひむかのお役は人の病をなほして神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違ひないやうに伝へて呉れよ。六月十四日ひつくのか三。

第六帖(6)

  外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。大切なこと忘れてゐるのに気がつかんか。この知らせをよく読みて呉れよ。十月まで待て。それまではこのままで呉れよ。六月十七日、ひつくのか三。

第七帖(7)

  いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。この神は小さい病直しや按摩の真似させんそ、大きな病を直すのぞ。神が開くから、人の考へで引張って呉れるなよ。六月十七日一二のか三。

第八帖(8)

  秋が立ちたち、この道ひらくかた出て来るから、それまでは神の仕組書かして置くから、よく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。その時になりて、あわてて何も知らんといふ様ではならんぞ、それまでに何もかにも知らして置くから、縁ある方から、この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いて呉れよ。六月十七日、ひつくのか三。

第九帖(9)

  この世のやり方、わからなくなったら、この神示録(しるし)をよまして呉れと云うて、この知らせを取り合ふから、その時になりて慌てん様にしてくれよ。日本の国は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお陰を落とさぬやう、シッカリと神の申すことを腹に入れて置いて呉れよ。六月十七日、ひつくのか三。

第十帖(10)

  神に目を向ければ神がうつり、神に耳向ければ神がきこえ、神に心向ければ心にうつる、掃除の程度によりて、神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。六月十九日、ひつくのか三。

第十一帖(11)

  いづくも土にかへると申してあろうが、東京も元の土に一ときかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。東京は元の土に一度はかへるぞ、その積りで用意して呉れよ。六月の十九日、一二のか三。

第十二帖(12)

  大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんやうに、上の人、気をつけて呉れよ。この道はちっとも心ゆるせんまことの神の道ぞ。油断すると神は代りの身魂使うぞ。六月の二十一日の朝、ひつくのか三。

第十三帖(13)

  元の人三人、その下に七人、その下に七七・四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのざ、この五十九の身魂身魂は神が守ってゐるから、世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれてゐる臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。何事も時節が来たぞ。六月二十一日、ひつくのか三。

第十四帖(14)

  この神示(ふで)よく読みて呉れよ、読めば読むほど何もかも分りて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ身魂とは神民の申す身魂でないぞ、身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、神の神民身と魂のわけ隔てないぞ身は魂、魂は身ぞ外国は身ばかりの所あり、魂ばかりの所もあり神は身魂の別ないぞ、この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ分るぞ身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ神の申すことちがはんぞよ。六月二十二日、ひつくのか三。

第15帖(15)

 今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、六ケ敷い道(おしへ)ぞ。縁ある人は早く集めて呉れよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けて呉れよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の神民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちにこの神示よく読んでゐて呉れよ。九月になったら用意して呉れよ。六月の二十四日、ひつくのか三。

第十六帖(16)

  ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世満つことぞ、ひらき睦び、中心に火集ひ、ひらく水。神の名二つ、カミと神世に出づ。早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄へ結び、成り展く秋来る。弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろひ展き結ぶぞ。月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し神世の礎極まる時代来る、神世の秘密と云ふ。六月二十四日、一二文。

第十七帖(17)

  この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、お土からとれた物、みな先ず神に供えよ、それを頂いて身魂を養う様になってゐるのに、神には献げずに、臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、何でも神に供えてから喰べると身魂ふとるぞ。今の半分で足りるぞ。それが臣民の頂き方ぞ。六月二十五日、ひつくのか三。

第十八帖(18)

  岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざからよくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分からんこと無いやうように、この神示で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざいところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心鏡凹んでゐるから、よきことわるく写り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐてくれよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土地持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。六月二十六日 ひつくのみ。

第十九帖(19)

 神の国の山に祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ、祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、祭るには先ず掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。六月二十七日、一二

第二十帖(20)

  神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬ筈ぞと申す者沢山あるが、神にはひとのいふ善も悪もないものぞ。よく心に考へて見よ、何もかも分りて来るぞ。表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが、一枚の紙にも裏表、ちと誤まれば分らんことになるぞ、神心になれば何もかもハッキリ写りて来るのざ、そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。言挙げせぬ国とはその事ぞ、理屈は外国のやり方、神の臣民言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、それが神の真の民ぞ。足許から鳥が立つぞ、十理(トリ)たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。上の者下に、落ちぶれた民上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。六月二十七日、ひつくのか三。

第二十一帖(21)

  世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷仕組であるそ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと写りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。今度はとことには変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ、因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ、初めつらいなれどだんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、外国から攻めてきて日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔しのやうになるぞ、神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。富士から三十里四里離れた所に祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体体制なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。まつりまつり結構、六月の二十八日、ひつ九のか三。

第二十二帖(22)

  いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国につく臣民沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。六月二十の八、一二のか三。

第二十三帖(23)

  神なぞ何うでもよいから、早く楽にして呉れと言ふ人沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、なくして仕まふから、その覚悟して居れよ。六月の二十八日、ひつくのか三。

第二十四帖(24)

  七の日はもののなる日ぞ。「ア」と「ヤ」と「ワ」は本の御用ぞ、「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。あとはだんだん分りて来るぞ。六月の二十八日は因縁の日ざい、一二のか三。

第二十五帖(25)

  一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。この神は世界中のみか天地のことを委されてゐる神の一柱ざから、小さいこと言ふのではないぞ、小さいことも何でもせなならんが、小さい事と臣民思うてゐると間違ひが起るから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけて呉れよ。北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。早う神心にかへりて呉れよ。この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民のお手柄さして、とことはに名の残るようになるぞ。本の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、その積りで居れよ、欲張っていろいろ買溜めしてゐる人、気の毒が出来るぞ、神よく気をつけて置くぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれ神の守りにつけるから、天地の元のてんの大神、国の大神と共に、よく祀りて呉れよ。六月の三十日、ひつくのか三。

第二十六帖(26)

 「あ」の身魂とは天地のまことの一つの掛替ない身魂ぞ、「や」とはその左の身魂「わ」とは右の身魂ぞ、「や」には替へ身魂○やあるぞ、「わ」には替へ身魂○わあるぞ、「あ」も「や」も「わ」も○やも○わも一つのものぞ。みたま引いた神かかる臣民を集めるから急いで呉れるなよ、今に分かるから、それまで見てゐて呉れよ。「い」と「う」はその介添の身魂、その魂と組みて「え」と「を」、「ゑ」と「お」が生まれるぞ、いづれは分ることざから、それまで待ちて呉れよ。言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから、身魂掃除すれば分るから、早う身魂洗濯して呉れよ。神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神にまつらふことぞ、神にまつらふとは神にまつはりつくことぞ、神に従ふことぞ、神にまつはりつくとは、子が親にまつはることぞ、神に従ふことぞ、神にまつらふには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神かかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と臣民耳にたこ出来るほど申してゐるのざ。七月の一日ひつくのかみの道ひ

第二十七帖

 何もかも世の元から仕組みであるから神の申すところへ行けよ。元の仕組みは富士ぞ、次の仕組みはウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、行きて神祀りて開いて呉れよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。行けば何もかも善くなる様に、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたらたづねてござれ、この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らせておくぞ。秋立ちたら寂しくなるぞ、寂しくなりたらたづねてござれ、我を張ってゐると、いつまでも分からずに苦しむばかりぞ。この神示も身魂により何んなにでも、とれるように書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、三柱と七柱揃うたら山に行けよ。七月一日、ひつくのか三。

第  帖




第 帖( )



  
  

第六帖(48)

  今までの神示縁ある臣民に早う示して呉れよ、神神さま臣民まつろひて言答(いわと)開くもの出来るから、早うしらせて呉れよ、誰でも見て読める様に写して神前に置いて、誰でも読めるやうにして置いて呉れよ役員よく考えて、見せるとき間遠えぬ様にして呉れよ、七月の十五日、ひつくのか三神示。

  

第帖


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