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定山渓鉄道跡探索後編(自衛隊前駅(現行地下鉄駅)〜真駒内駅(現行地下鉄駅)〜緑ヶ丘停留所〜石切山〜藤の沢〜十五島公園〜下藤野〜簾舞〜豊滝〜滝の沢〜小金湯〜一の沢〜錦橋〜白糸の滝〜定山渓)

令和3年7月17日(土) 23.2km 3時間51分(ランニングの記録であり、鉄道跡の距離ではない)
 
 定山渓鉄道線の後半。前回は白石駅から定山渓鉄道の真駒内(現在の車両基地入口)まで走ったが、今回は真駒内から定山渓終点まで走ってみることに。
 朝8時頃に自衛隊前駅まで地下鉄で向かい、そこから走る。

前回の定山渓鉄道前半散策

 
 走り始めると暑く、汗が噴き出してくる。しばらく走ると、現行の地下鉄駅の真駒内駅に到着。ここは定山渓鉄道の駅ではない(1、2)。そこからさらに南下し、真駒内幸町3丁目を過ぎたあたりが緑ヶ丘停留所だが、痕跡はない(3、4)。平岸通りの突き当りまで行くと、遊歩道に入る(5、6)。ここが線路跡なのかどうかわからない。真駒内川を見渡し、トンネルを過ぎると硬石山など札幌の市街が見えた(7、8)。
 下りを突き当たると右手に、線路跡の築堤が現れた(9)。築堤はすぐ終わり道路に変わった(10)。石切山街道という石碑もあった(11、12)。すぐにこの線路跡で唯一残っている石切山駅に到着(13〜16)。国道230号線を渡り(17)河岸段丘の境に線路跡が残っていた(18〜20)。
 線路跡は国道の方に近づき藤の沢川沿いのところが藤の沢駅のはずだ(21)。そして近くのパチスロ店のところが十五島公園のはずだ(22)。そして国道から分岐するところの空地が下藤野駅である(23)。二股の道を右に行き、八剣山トンネルとの分岐が簾舞駅(24)である。
 線路跡はここからは実際に豊平川沿いにあるはずだが、道路はないので国道に戻る。このため豊田喜駅は確認できなかった。そして、豊滝道路ステーションを過ぎたところからまた小金湯温泉に行く道に戻ると滝の沢駅跡があった(25)。ここには説明板が設置されている(26)。

【ニ美桜】(旧定鉄 滝の沢駅跡)
 かつてこの地を走っていた定山渓鉄道は大正7年十月に白石から定山渓までの運行を開始した。大正十三年一月に滝の沢に停留所が設置され、昭和四年十月の電化に伴い待望の「滝の沢駅」が建設された。昭和六年滝の沢駅初代駅長の福井正造氏らが沿線の環境美化を目的とし駅構内にソメイヨシノの苗木を植樹、桜の季節には乗客の眼を楽しませた。定鉄は昭和44年10月に廃線、線路が外され駅は亡くなったが桜の木はそのまま残されている。平成11年秋、かつての定鉄線路跡に市道が建設されるにあたり、この桜の木を「二美桜」と命名し歴史の証として末永く保存することとした。
 平成12年5月7日 二美桜保存会

 次に小金湯温泉に到着するが、駅の場所はどこかわからない(27)。国道に戻る。一の沢駅があるはずだが、バス停にその名残が残っているのだろうか(28)。国道から小樽朝里への分岐を右に行き、しばらく行くと錦橋駅であるが、これもバス停しかわからなかった(29)。錦橋から左折し定山渓市街に向かう。途中切通みたいなところを過ぎると白糸の滝駅である(30)。ここの広場は昔変な博物館、秘宝館があったところだろうか。
 国道をもう少し走り、定山渓万世閣ホテルミリオーネの南側の緑地が定山渓駅であった(31)。

【定山渓駅跡】説明板
 定山渓鉄道は大正7年(1918年)白石から豊平を経て定山渓までの29.9kmにわたり開通した。温泉への利用客の輸送や豊平川上流の木材、豊羽鉱山の鉱石の運搬などに利用され、定山渓の発展に貢献した。しかし自動車の普及により、昭和44年(1969年)半世紀にわたる歴史を閉じた。ここはかつて終点の定山渓駅があったところで、駅舎の礎石もわずかに残っている。 

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