こちらに来て初めて家族でレンタカーを借りて、長野に旅行。
道はよくわからないが、カーナビを頼りに行く。横須賀道路から湾岸線に抜けて首都高速、関越自動車道、上信越自動車道を行く。 |
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↑東京モノレールが見える。 |
↑藤岡PA。凄い人と店だ。 |
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↑藤岡PA。 |
↑高崎をすぎると変な形の山が見えてくる。 |
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↑小諸で墓参りの後、上田のアクアプラザ上田へ。 |
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↑アクアプラザ上田で3時くらいまで遊び、軽井沢へ。 |
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↑上田から軽井沢に向かう途中に「大蔵京古墳」があり、立ち寄る。(以下、ネット)
大蔵京古墳は、秋和地区の北側にそびえる虚空蔵山〔こくぞうさん〕南麓の見晴らしの良い傾斜面に、自然の地形を利用して造られています。古墳の形は方墳〔ほうふん〕とされていますが、かつて双子塚〔ふたごづか〕とも呼ばれたことがあり、前方後円墳とみられた時期もありました。これは東側にある古墳状の盛土部分を含めてのものであったと思いますが、現在では西側にある墳丘〔ふんきゅう〕のみが古墳とされています。
古墳の東隣には、江戸時代に神社の社殿が造られたり、古墳の頂部には日露戦争戦没者忠魂碑などが建てられ、周辺は多少変形していますが、いずれも墳形を大きく変えていないため、墳丘の保存状態は比較的良好です。
墳丘の四辺は東西南北の方位にほぼ正確に一致していて、計画的に造られた古墳と思われますが、その規模は東辺32m、西辺34m、南辺35m、北辺33.5mの四辺形になっています。また、墳頂部は各辺8mあり、高さは約6mの比較的大きな方墳といえます。
古墳周辺の南側以外のところには、わずかに平らなところがありますが、この部分に溝を造った跡はみられず、その立地から古墳の回りに周溝〔しゅうこう〕や周堤〔しゅうてい〕などの施設は、初めからなかったものと考えられます。
かつて墳丘の南斜面から四点の土師器片〔はじきへん〕が表面採集されましたが、このうち二点は有段口縁〔ゆうだんこうえん〕(縁に段がついている形、図参照)をもつ大型の壷の一部とみられます。この土器は、表面の整形方法や赤く塗ったりしているなどの特徴から、およそ四世紀終末から五世紀前半頃の資料と推定されています。そして古墳の造られた年代も、この時期ではないかと考えられています。
今まで、当地方で最も大きい方墳として知られる東部町の中曽根親王塚古墳(5世紀後半)や、同町の塚原二号・五号墳(五世紀初頭)が古いとみられていましたが、それより、さらに古い時期の古墳と位置づけられています。上田盆地では、今のところ最も古い古墳と考えられます。
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↑宿は、中軽井沢の「パイプのけむり」中庭があって、なかなかよいホテル。
ご飯の時間まで、自転車を借りて軽井沢を散策。 |
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↑テニスコートやしゃれたペンション、レストランなどが続く。 |
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↑プリンス通り |
↑ショッピングモール |
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↑夕食はガラス室の中でバイキング。飲み過ぎた。 |