かつない臨港公園・手宮厩神社・小樽手稲神社・旧手宮線・量徳寺・末広稲荷

廃線・廃駅

平成26年(2014)11月23日(日) 11.4km1時間41分 ウイングベイ小樽~埠頭沿い~手宮~手宮公園~錦町~旧手宮線~花園銀座商店街~入船通り~ウイングベイ小樽

  森町の実家から札幌に帰る途中、小樽をランニングすることに。ここは北海道の中でも函館に次ぎ歴史がある港町。ウイングベイ小樽に車を停めて、手宮方面に走ってみることに。
 最初に訪問したのは「かつない臨港公園」。大きな錨が展示されているのを横目にさらに西に向かうと、手宮洞窟保存館が見えてきた。しかし、11月は休館中だという。ネットから拝借すると次の通りだが、角のある人などが壁に描かれているという。通常の歴史的な考察ではシャーマンを描いたのではないかということだが、はたして本当にそうなのか疑問である。
http://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/doukutu/dokutsu.html へのリンク

 次に急な坂を上り、手宮公園に向かうと「手宮厩神社」が出てきた。ここも古い。元禄3年、今から300年前の創祀だという。ここの由緒は長いので、ネットから参照。
http://www.norichan.jp/jinja/benkyou/temiyaumayainari.htm へのリンク

 続いて、手宮公園を登り、末広中学校のグランドを横切ると、これまた神社「小樽稲荷神社」である。ここも古い。元禄3年(1690)創祀、享和3年(1803)改築だそうだ。
http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/04/04003.html へのリンク

 この辺は高台にあり、小樽の港、市街を一望できる。ここから坂を一気に下ると錦町近辺。昔の繁華街ぽいが、今は寂れているな。一目で昔の花街風な店もある。
 この道をまっすぐ走ると、旧手宮線に出た。旧国鉄手宮線は幌内鉄道の一部として、明治13年に小樽・手宮?札幌を結ぶ北海道で最初の鉄道として開通し、北海道開拓に重要な役割を担っていたが、昭和60年に廃線となったそうな。
 http://www.city.otaru.lg.jp/simin/sumai/machidukuri/temiyasen/ へのリンク

 そこから、花園通商店街を東にひたすら走る。昔懐かしいレトロな商店街で、一回飲みに訪れたい。後程、「小樽、花街」で検索すると、この辺が昔の花街だそうだ。花園だからね。

 しばらく走ると、大きなお寺、浄土真宗大谷派の「量徳寺」というそうな。よく見ると、あの新選組の永倉新八の菩提寺だそうな。なぜ、永倉新八の菩提寺がここにあるのか?これもネットでググると、真偽はともかく、このお寺の過去帳に「杉村義衛(結婚後に改名した名前)」が発見されたことから分かったらしい。永倉は松前藩士の次男坊。10代で松前藩を脱藩。剣術の旅に出て、試衛館道場のメンバーと出会う。かの有名な新選組に入り活躍し、その後戊辰戦争へ。戊辰戦争で生き残り、明治に入った頃。松前藩士として帰参した永倉は、松前藩家老のとりなしで松前藩医の杉村介庵の娘と結婚し、婿養子として松前に渡る。小樽には、杉村の家督を継いだ後に移る。一時は東京に移り道場を開いたそうだが、晩年は家族がいる小樽にまた戻り、最後まで過ごしたそう。

 最後末広町近辺を走っていると、またしても赤いレトロな稲荷神社を見つける。「末広稲荷」というそうな。由緒を見ると、明治17年に小樽の有名な侠客だった『末広』こと鈴木吉五郎が、京都伏見稲荷から分霊し祭った。鈴木吉五郎という人は、芝居小屋の末広座を興し、私設消防組まで作った人情派でやり手の親分だったようだ。そして、明治のこのあたりは、花街として賑わっていた場所で、花柳界に働く人たちの信仰を広く集めていたそうな。
 
 ここから港の観光客でごった返す運河を経由して、駐車しているウイングベイ小樽に変えるのであった。

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