中山道2蕨宿

中山道

平成24年(2012)1月28日(土) 1板橋~2蕨 8.9km(18.7km)2蕨~3浦和 5.4km(24.1km) 9:30板橋~11:30蕨~12:30浦和

 荒川を渡ると埼玉県戸田市、戸田市をしばらく走ると蕨宿。記念館もあり、本陣もそれらしく改築している。 

【和楽備神社】
 社伝によると室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築城の際、八幡神を祭ったのが最初だという。そのすぐ近くに蕨城跡。堀しか残っていない。 

【蕨城】ウイキペディアよい転載
 南北朝時代に足利氏一門の渋川義行によって築城され、曾孫の渋川義鏡が古河公方に対抗するための拠点とした。周囲を沼と深田に囲まれた微高地上に築城された平城で、幅約11.8メートルの囲掘と幅約8.2メートルの土塁をめぐらし堀の内側の面積は約12200平方メートルとなっており、南側には同様の堀と土塁をめぐらせた約21650平方メートルの外輪地があり二郭を形成していた。弘化3年(1846年)頃のものと伝えられる「蕨御殿の図」では主郭の南側に虎口と馬出しの存在が認められ、これらは外郭と同時期に渋川義鏡によって加えられたものと考えられる。戦国時代には扇谷上杉氏と後北条氏の境界線に位置したため、扇谷上杉氏にとっては江戸城奪回のための拠点となり、後北条氏にとっては川越城攻略の足がかりとなり、しばしば所属する勢力が入れ替わった。現在は本丸跡地が県の旧跡に指定され、蕨城址公園として整備されている

 和楽備神社近くのうどん屋で昼食。

 三学院。真言宗智山派智積院の末寺。本尊の木造十一面観音菩薩は平安時代だという。境内がひろい。その手前には子育て地蔵、六地蔵。

【三学院】蕨市のHPより
 三学院は、京都の新義真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺で、金亀山極楽寺(こんきさんごくらくじ)三学院といいます。
 創立年代は不明ですが、本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられています。
 天正19年(1591)には、徳川家康より、寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されており、以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられています。
また、三学院は、足立坂東三十三箇寺の20番、北足立八十八箇所の30番にあたる札所としても知られています。

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