令和2年(2020)10月31日(土)
仁木町:稲穂トンネル横
稲穂トンネル手前に松浦武四郎の碑の看板を見つけたので、立ち寄ることに。寄ったら島義勇の碑もあった。
【島義勇詩碑建立の碑】
明治2年旧10月8日 開拓使判官島義勇は部下40余名を引き連れて石狩本府建設のため札幌に向かう途中稲穂峠にさしかかりその険路と風雪に難儀し夜に入るに至った。困り果てた矢さき樺皮を携えて迎えにきた里人たちの炉火に一行は大いに喜び山麓のルベシベ通行屋に無事着くことができた
島義勇はこの峠越えの苦難と里人たちの温情を漢詩にのこした。
いま茲に往時を偲んでこの詩を建立した。
なお「楽斎学人島義勇」は直筆の署名である。
【島義勇の詩】
行儘一山還一山
風寒日暮尚臍攀
隔渓忽聞豹狼吠
峰上泰然月一(以下略)
【松浦武四郎碑】
岩ほ切
木を伐
草を苅そけて
みちたひらけし
山のとかけも
【松浦武四郎碑説明板】
竹四郎(後に武四郎ともいう)は、安政四年(1857)旧暦五月十四日、岩内領よりこの山の上の新道稲穂峠を越え、その出来ばえを感じて和歌一首を書き記した。
いまここに往時を回顧し、これを記念してこの碑を建立した
なお松浦竹四郎源の弘誌は自筆の署名である。
昭和六十三年五月十四日
建立者 久保武夫
揮毫 海原斉観洋
石工 和田一成
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