佐倉宗吾の生家・甚平の渡し

古い建物

平成24年(2012)2月26日(日) 8:30宗吾参道駅~宗吾霊堂~麻賀多神社~甚平茶屋~もうひとつの麻賀多神社~成田山新勝寺~11:30成田駅

 佐倉宗吾の生家を通って、甚平の渡しに向かう。

【佐倉宗吾の生家】 

 甚平の渡しには松林、水神が祀られている。印旛沼が干拓される前までは、ここまで海岸線があったという。以下、佐倉宗吾の直訴を、手助けした渡し守の甚平の碑があった。

【甚平の渡しの碑】
 台方村の名主(なぬし)であった佐倉惣五郎(さくらそうごろう)は、打ち続く凶作と重税に苦しむ農民たちを救おうと佐倉藩内の名主たちと一緒に江戸屋敷へ強訴したりして税の軽減を願い出ましたが聞き入れられず、やむなく将軍への直訴(じきそ)を決意しました。
雪の降りしきる夜、江戸出府のため密かに、この渡し場に来た惣五郎を任侠の渡し守、甚平は、禁制を犯して鎖を切り、舟を出して惣五郎を送った後、老いて捕らわれの身となって生きながらえるよりはと、凍(こご)える印旛沼に身を投じたという悲しい物語があります。 

コメント