増毛山道・雄冬山アタック

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増毛山道・雄冬山アタック(21kmコース)
平成27年(2015)9月5日(土)約20名 21km 行動時間約10時間

0720 循環林道南交差点(標高約600m)発
0812 武好駅逓
0911 岩尾分岐
1145 雄冬山山頂直下(標高約1,000m)
1200 林道最終復元ポイント
1220 同出発
1445 岩尾分岐
1706 岩尾口

 平成25年10月に増毛山道のトレッキングツアーのロングコース16kmに参加したことがあるが、その後雄冬山まで道を伸ばしていると聞いていた。そうした中、雄冬山アタックコース(21km・上級者コース)が昨年から設定され、今年、申し込んでいたが、この度当たったので、参加することに。

【増毛山道とは】
 江戸時代になると和人が蝦夷地に住むようになり、広い蝦夷地に散らばる漁場同士を行き来するため道路が整備されていきます。
 そうした中、増毛と浜益のあいだを通行するために掘削されたのが増毛山道です。
 増毛から浜益に続く海岸は雄冬岬に代表される急な断崖絶壁が続く地形で陸上の通行にはこんなんを伴いました。そのため山道の整備は重要事項だったのです。
 安静4年(1857)、今から150年ほど前、増毛の漁場を請け負っていた商人、伊達林右衛門が自費にて開削をし、14里1丁の道を完成させました。そのうち、増毛町の別苅と石狩市の幌を結ぶ9里22丁(約37km)の区間を増毛山道と呼びます。
 北海道の名付け親として知られる松浦武四郎は、調査で増毛を訪れ、完成してすぐの山道を通行して、「蝦夷地第一の出来栄え」と評し、道の途中に宿を置くと良いと行っています。
【説明終了】

 増毛町岩尾に朝6時に集合である。この地に札幌から行くには、朝7時まで通行止めとなっている最短の雄冬側を避けて、遠く留萌を経由して迂回していかなければならない。このため、朝3時に札幌を出発して道央道・深川留萌道を通って、6時直前に増毛町岩尾に到着。
 申し込みをしてから、マイクロバスに乗り1時間もかけて、出発口の循環林道南交点に到着。
 今日の天気予報は晴れ時々雨で、後半は好天とのことだが、出発時は雨模様。歩いてしばらくすると晴れてきた。
 出発して約1時間で武好駅逓に到着。ここは岩尾側と増毛側の中間点として郵便を受け渡す場所だったり、宿泊もできる場所だったようである。
 ガイドの人は浜益・幌の地元の人らしいが、どこの説明も簡単で、小休止時間も少なく、やたら急いでいるようである。話を聞くと、今日のコースは山道21kmなので、ちょっとペースが遅いと日没まで帰ってこれないからということである。
 岩尾分岐から暑寒沢林道交点からいよいよ雄冬山に向かう道である。しばらく歩くと椅子みたいな石がでてきた。石に梵字みたいな字が書いてあり、仏像を置くスペースがある。会の人たちはこれを「仏の台座」と呼んでいるようである。説明によると、信心深い昔の人の交通の安全のために設置したのではないかということである。
 高度を上げると根曲り竹群落の中である。太い根に引っかかったり、滑ったりしてやたらと歩きにくく、ピークに近づくとまた雨が降ってきた。またしても合羽を着こむ。ガイドの人によると晴れていると暑寒岳や群別岳、浜益御殿などの絶景が広がるとのことで大変残念である。また、。雄冬山頂上直下のピークの平原には昔、雄冬神社があったそうである。柱の石の台座があるはずだが、根曲り竹に覆われてわからないという。また、頂上に行くためには強烈な藪漕ぎが必要で素人には無理だという。
 ピークから高度を下げ、最終復元ポイントに向かう。この辺は2~3日前に刈り取ったばかりだという。5人体制でブッシュカッター4人、チェーンソー1名で作業したそうだが、登り下りに時間をとられ、作業時間は2~3時間で一日に進む距離が300mほどだそうである。本当に会の皆さんの努力には脱帽である。
 最終地で20分ほど昼食休憩を取った後、下山開始。下山も10kmほどの山道を歩く必要があり、御年配の方々はきつそうであったが、約4時間半で岩尾口に到着。下山すると快晴が広がり、夕焼けの海がたいそう綺麗であった。

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