定山渓神社・定山寺

景勝地

平成24年(2012)4月15日(日) 11:00頃~12:00頃 札幌市南区定山渓付近

札幌の自宅に帰省後、せたなに帰りがてら、定山渓の朝日山と夕日山に登ろうとしたら、雪で断念し、市街をランニングすることに。この辺は車でしか通ったことしかないので、新鮮でした。 

【定山渓神社】(神社庁のホームページより)
 明治44年(1911)9月6日創立。大己貴神、少彦名神、大山祇神、罔象女命、金山彦神、美泉定山命を奉斎する。大東亜戦争後、昭和28年6月20日鹿の湯クラブに於いて総代、藤島盛久(1区)、丸山角藏(2区)、林正義(3区)、浜野常七(4区)、山田陽弘(5区)、東野一文(6区)、河端重好(7区)、佐藤貫一(8区)が会議を行い宗教法人設立について意見を交わし、昭和31年6月8日宗教法人定山渓神社として登記完了する。例祭9月10日。美泉定山は文化12年1月7日岡山県に生まれる。安政3年渡道し、明治元年土人の案内により此地に来て温泉が湧出するを発見。明治4年開拓使から湯守を命ぜられ此の地を定山渓と命名し、浴客の便を図り定山渓開拓の基礎をつくれる恩人である。

【定山寺】(各種ホームページから転載)
 その開祖とされ、また「定山渓」という名称の由来となった美泉定山ゆかりの寺院である。定山寺は曹洞宗の寺院で、山号を大徳山といいます。大正5(1916)年、中央寺(札幌市中央区)の三代目住職により作られた説教所が、そのはじまりとされています。定山渓の開祖である美泉定山が札幌に出向いた折りに宿所としていたのが中央寺であり、その縁もあり定山渓の地に説教所を設けることになったようです。また、定山は明治10(1877)年に亡くなっていますが、その遺品の一部が中央寺に残されており、これらの品々は大正12(1923)年に定山寺へ移されました。創立時は現在地より少し札幌中心部寄りに所在していた定山寺ですが、昭和18(1943)年に現在地へ移転し、温泉街を訪ねる人々に美泉定山の功績を伝えています。美泉定山は文化2(1805)年、備前国(岡山県)に生まれた真言宗の修験僧です。十代後半の頃から高野山や東北各地で修行を重ねた定山が北海道に渡ってきたのは、嘉永6(1853)年頃と言われています。道南で数年間を過ごした後、文久1(1861)年頃に小樽の張碓(はりうす)に移住した定山は、やがて豊平川の上流に温泉があることを知ります。こうして慶応2(1866)年以降は定山渓に居住し、温泉開発と経営に当たるようになりました。やがて明治時代になり札幌に開拓使が置かれると温泉の開発を陳情し、その求めに応じた開拓使は明治4(1871)年に定山を湯守に任命し、扶持米を支給することにしました。しかし、湯治客はなかなか増えず、明治7(1874)年に湯守が廃止された後の生活は苦しかったようです。そして明治10(1877)年11月、山に入った定山は行方が分からなくなってしまいました。その最期が判明したのは行方不明になってから100年ほど後のことで、小樽の寺院の過去帳により、張碓の山中で病没したことが分かりました。

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