嵐山・旭川市内

山登り

令和3年(2021)3月7日(日) 嵐山(253m)、井上靖記念館、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館、川村カ子トアイヌ記念館

 

距離:16.7km 2時間50分

 3月5日から吉方が北東になったので、旭川を訪問することにする。今日の目的地は、嵐山に登った後、旭川出身の作家の井上靖記念館などを訪問することだ。
 当初、嵐山展望台の駐車場まで車に行こうと思ったが、道が狭くて車がすれ違いができないので、イオンモール旭川西店に車を停めて走っていくことに。
 走り始めて、最初は道を間違っていたのだが、嵐山公園ではなく、高速道路の北側を迂回して、その北側のジャンプ台の方に行ってしまった。車は停まっているが、シカの足跡はあるが、人間の足跡はない。ウロウロしているとスキーの跡が見つかったので、そこを辿ってみることに。先日の暖気の後、寒くなったので雪が固まっていて、スノトレでも歩いていける。この道は夏道ではないようだ。傾斜もそんなに急でなく、誰にも会わないが、20分ほどで展望台のある頂上に到着した。
 頂上付近には踏み跡がたくさんあり、人もいる。今日は快晴ではないが、市街地の展望が開ける。恐らくアイヌの人々もこの景色を楽しんだのであろうと推測して、北の嵐山・北邦野草園の方に降りていく。人と結構すれ違うし、踏み跡もしっかりしている。登りは誰にも人に合わず心配だったが、結果として循環ランニングになったので良しとしよう。登山口の嵐山公園センターでは、この嵐山全体の図があり、近文山への縦走や、下の方にはチャシコツナイなる地名もあるので、今度また来てみよう。
 今度は、春光方面の井上靖記念館などを目指す。しかし、身体が疲れてきて思うようにペースが上がらない。道の公宅や市営住宅の横を通ると、井上靖記念館・中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館に到着した。この辺は戦前は軍部の用地だったから、公宅や学校が多いなのだろうと推察。
 井上靖の著作は、若いころ、「あすなろ物語」や「敦煌」などを読んだ記憶があるが、旭川生まれだとは知らなかった。軍人の父親が旭川赴任の際に、生れていたのだ。明治40年生まれだから、自分のおじいさんの世代に当たる。本物の原稿用紙などを観覧し、そんなに修正しないで物語を仕上げているのを見て、現在ワープロで断片を繋ぎ合わせ、修正しまくっている自分としてはすごいなと感じた。そして、世田谷の住宅から移設した書斎と応接室を見て、自分もそのような部屋を欲しいと感じた。
 その隣の旭川市彫刻美術館には、中原悌二郎の作品が収蔵されている。彼は32歳の短い生涯で32点の彫像を残している。自分にはよくわからないが、これをつくり上げるのは難しいだろうと感じた。なお、この美術館は軍の接待場所である。以下、パンフレットから抜粋。

【重要文化財 旧旭川偕行社】
 旧陸軍第七師団が旭川に設営された際に、将校たちの社交場として明治35年に建設。設計は陸軍臨時建築部、施工は大倉組。皇太子時代の大正天皇や昭和天皇の行在所にも使用。終戦後はアメリカ軍の将校クラブとして使用され、昭和24年に国から旭川市に移管され、仮校舎にも使用。北海道における洋風の本格的なクラブ建築として意匠も優れており、平成5年に彫刻美術館に転用され、平成6年に開館。

 そこから陸上自衛隊旭川駐屯地沿いの広い道を走る。戦車を走らせるため広い道にしたのかなと思いながら走る。教育大旭川分校の向かいに川村カ子トアイヌ記念館があった。藁ぶきのチセの奥に記念館はあった。冬季間は休みかと思ったが、営業していたので500円を払って入ってみた。

【川村カ子トアイヌ記念館】
 当記念館は、アイヌ自ら運営する道内最古のアイヌ博物館で、川村家は上川アイヌの名家で、第七代当主イタキシロマによって大正5年開館しました。

 館内は老朽化しており、床がギシギシしているが、展示物は多い。そういえば先日亡くなった、川村兼一館長は、開館したイタキシロマのお孫さんだそうだ。
 旭川もアイヌの歴史が満載だと思い、アイヌ記念館をあとにする。途中、らーめん山家旭川店でラーメンを食べて、イオンモール旭川西店に戻る。

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