手稲丸山

山登り

手稲丸山(141m) 平成26年(2014)10月29日(土) 単独 23.09km 3時間54分 丸山には14時頃登頂
札幌市西区体育館~24軒手稲通り~手稲駅~樽川通~手稲山口~稲穂~手稲富丘~手稲丸山~宮の沢

 今日は、札幌市西区体育館で子供のフットサルの試合を見た後、手稲方面に走ることに。
 宮の沢駅から24軒手稲通を手稲駅方面に向かう。走り始めてすぐ「なごやか亭」の近くに林があるのだが、そこに石碑がある。『この原始林は明治の末、臼井栄磨さんが森の守り木を植えて、「今見ればなんのことなき石狩野草木を分けて入りしころを」を詠んで「臼井の森」として広く親しまれてきたものを昭和53年都市緑化保全法の指定で市有林となったものです』と書いてある。この住宅街にひそかに開拓の歴史が記されていたと感動。

 しばらく住宅街が続き、30分ほどで手稲駅に着く。手稲駅の山側には手稲神社があった。手稲山の頂上にも神社があるのだが、そこは北海道一標高が高い神社で、そこを訪問できない人のための遥拝所もある。ネットから由緒を転用すると次の通り。

【手稲神社の由緒】
 明治のはじめ、手稲村の開拓移住者は、札幌神社(現在の北海道神宮)を参拝する事を常としていましたが、冬季・農業期の不便を感じ地元に札幌神社を遥拝すべく小祠を建立し、その御分霊を祀り手稲村民の心の拠り所としてこの地に手稲神社は御鎮座いたしました。
当初、軽川遥拝所としていましたが、そののち神社公称許可を受け、社名を手稲神社と致しました。この地に住む人々が当社を手稲の総鎮守と篤く崇拝し、大神様の御加護のもと険しい風土を克服しながら田畑を開墾し、町を開き、川を静め、道を開くなど、たゆまぬ努力を重ね手稲は発展して参りました。
その手稲区総鎮守である手稲神社も平成11年に御鎮座百年を迎え、御鎮座百年記念事業として氏子の皆様の御奉賛により、社務所並びに演舞場を新築することができました。
また平成21年には御鎮座百十年を迎え、屋根銅板葺替を始めとする御社殿改修工事を行いました。
(転載終了)

 次に、樽川通りを走り手稲山口方面に向かう。バッタ塚を訪問しようと思ったが、国道337からさらに海側に2kmも走らなければならないので断念。このため、かねてから行こうと考えていた山口神社を訪問。この神社は鎮座100周年を記念して、平成25年に建て替えられた新しい社殿だ。
 そこから稲穂駅方面に向かうと、山口運河なるものがある。運河の脇には散策路。そこを東に向かって走り、散策路が切れたところから国道5号線に戻る。手稲山に登る道路を走り、インターの札幌寄りの高速道路の下をくぐり手稲丸山の登り口とおぼしきところへ。
 
 急な法面の上にピンクテープがある。ここが恐らく登り口だと確信して、登り始める。もちろん登山道はなく、笹と林の間を登っていく。しばらく登ると稜線らしきところに出る。そして、踏み跡も若干ある。頂上にはあっという間に到着。しかし木々に囲まれて展望はないが、木々の間から若干日本海や手稲の街並みが見える。そして頂上には「丸山141m」の看板が。あとで調べると、この山は札幌50山の一つだそうだ。
 下りも道がないので心配だったが、木漏れ日から見える住宅街に向かえばよく、登りで気が付かなかったがピンクテープも2か所くらいあった。
 下山もあっという間に終了し、手稲富丘の住宅街を走り、5号線に戻ると、疲れがピークに。しかし、宮の沢でちょうどバスが来たのでバスで家に帰りました。 

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