平成24年(2012)9月3日(日) 1100~12:30頃 道の駅あぷた~有珠会所跡~有珠善光寺~バチラー教会堂~善光寺自然公園~道の駅
【有珠会所跡】
伊達市指定史跡 有珠会所跡 昭和62年12月25日指定
ここは有珠場所経営の中心となった有珠会所があったところです。
有珠の会所が、正確にいつ設けられたのかは明らかではありませんが、文献に初めて現れるのは寛文年間(1661年~1672年)で、,おそらくこのころに設立されたものと思われます。
会所では運上金の収納、駅逓人馬継立、通行人の宿泊、日用品の供給等の業務が行われ、当時の蝦夷地での経済や交通などの重要な機関でした。
明治2年、伊達邦成が支配地検分のとき最初に到着したのもこの会所です。
【有珠善光寺】
有珠の善光寺に初めて来た。鎌倉に来たみたいだ。北海道にもこのように歴史がある。以下、ネットより由来を拝借。
天長3年(826年)、比叡山の僧であった慈覚大師が、自ら彫った本尊阿弥陀如来を安置し、開山したと伝えられています。浄土宗のお寺です。慶長18年(1613年)、松前藩主慶広が如来堂の再興を図りました。 その後、文化元年(1804年)、時の将軍徳川家斉公により蝦夷三官寺の一つとして、正式な建立をみました。江戸の芝増上寺の末寺です。
昭和49年5月、寺の境内一帯は、江戸時代後期に歴史的な役割を果たした寺院として重要であり本堂は江戸時代の2度の有珠山噴火からも難を逃れてほぼ原型をとどめ、江戸時代のたたずまいを今日に伝えると言う理由で、国の史跡に指定されました。
【大臼山神社】
次に大臼山神社に行ってみる。以下ネットより。ここも古い。
創立年代不詳。文化3年(1806)の「有寿《うす》場所様子大概書」、安政2年(1855)の松浦武四郎「回浦日記」、寛政年間(1789~1801)の「有珠会所絵図」、松浦武四郎「東蝦夷日誌」に既に記されている田心姫命・田湍津姫命・市杵島姫命と蛭子神を合祀した弁財天蛭子宮という小祠が起源とされる。当時祀られていた蛭子神は現在祀られておらず詳細は不明、後に境内地整備の際に付近に建立されていた大山祇神を祀る山神碑を合祀したという。以前から弁天宮と称していたが、明治8年に社名を大臼山神社に改称、村社に列せられる。昭和58年には老朽化が進んだため、境内地を整備し社殿を新たに造営、同年10月5日竣功した。
【バチラー教会堂】
宣教師バチラー(1854~1944)はアイヌ民族の父と呼ばれ、1877(明治10)年に北海道へ渡ってからの64年間、アイヌ伝道に生涯を捧げました。彼は1906(明治39)年に、有珠のアイヌ豪族向井富蔵の次女八重子を養女としました。この教会は、八重子の弟である向井山雄が中心となり建設したものです。建物の正面中央と1階左右の窓上部にあるノコギリ型の三角形は、「重ね菱」と呼ばれています。また1階左右の窓割は十字架を意識しているようにみられます。
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