令和2年(2020)12月5日(土)
八幡チャシ跡、シンコチャシ跡、キロロチャシ跡(本別町)
足寄のチャシ跡訪問ランニングの後、車で本別町に移動し、八幡チャシ跡を訪問する。ここは、本別中央小学校の隣の丘の八幡神社であり、ナビで容易に到着できた。鳥居の横にはチャシ公園という看板も見える。足寄でチャシを発見できなかったので、ワクワクしながら登城する。
【八幡チャシ跡】
・城 跡 名:八幡チャシ跡
・所 在 地:北海道中川郡本別町弥生町19、20
マップコート:481 147 464*24
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形 態:丘先式
・主な遺構:空壕(弧状1条)
・大きさ:70m×70m、標高:68m
・説明板:なし
・概要:チャシ内には、八幡神社拝殿、石碑などが建立され、また数十カ所の盗掘の痕があり、チャシ景観は損なわれている。ここから鉄刀、擦文土器が出土した。地元に長く住む清川ネウサルモン翁もこのチャシを使用した話は知らないという。
・伝承:なし
※出展:「家系城郭研究所」http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/index.htm
「日本城郭体系(北海道、沖縄編)」
その次に、シンコチャシを目指す。家系城郭研究所さんによると、八幡神社から道なりに進み、大きな道を横切るとチャシ公園があるというのだが見つけられない。ウロウロして探すうち、住宅と畑の間に河岸段丘の縁に向かう踏み跡があった。川の方に進むと壕があり、古びた公園の柵のようなものと、倒れているが「シンコチャシ」の標柱があった。
濠がしっかりと残っており、樹木が若干あるが、川と市街地を望む景色は良い。昔は公園だったようだが、いまは若干名残が残っている。
【シンコチャシ跡】
・城 跡 名:八幡チャシ跡
・所 在 地:北海道中川郡本別町西美里別2-4,5
マップコート:481 147 158*06
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形 態:丘先式
・主な遺構:空壕(弧状1条)
・大きさ:65m×65m、標高:76.8
・説明板:なし
・概要:チャシ跡の東及び南は、急傾斜の崖となって利別川に落ち込み、チャシが防御に機能の主眼あるとするなら、格好の要塞だったに違いない。壕は弧状に1条掘削され、壕に沿って両側に高さ50㎝の土塁がある。
・伝承:キロロの向こうのシンコチャシは、その向こうのポンチャシ(八幡チャシ)からは、利別川の上流や、ポンベツ、ピリベツの合流点や上浦幌の丘の斜面まで見渡すことができた。この地に侵入する者は全てチャシの前に姿を現す必要があった。
本別町史の目黒治助氏が、清川ネルサルモンの話として取材。利別川の上流から無数のフキが流れてきた。釧路アイヌがフキの茎をくわえて呼吸しながら奇襲をかけてきた。しかし、本別アイヌの酋長に見破られ、チャシの下流に回ったところを一人を残して滅ぼした。チャシのシンコの意味はエゾ松の意味である。
※出展:「家系城郭研究所」http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/index.htm
「日本城郭体系(北海道、沖縄編)」
「アイヌ伝承と砦」(宇田川洋)
シンコチャシの下流側にキロロチャシがあるはずだが、畑を横断せねばならず、周辺を撮影するのみにとどめた。
【キロロコチャシ跡】
・城 跡 名:キロロチャシ跡
・所 在 地:北海道中川郡本別町西美里別
マップコート:不明
・創建年代:不明
・創 建 者:不明
・形 態:面崖式
・主な遺構:不明
・大きさ:不明、標高:80m
・説明板:なし
・概要:不明
・伝承:鏡付きのキロロチャシ。キロロチャシの崖の下には、昔大きな沼があった。釧路アイヌや北見アイヌがたびたび攻めてきたが、木陰や藪に隠れて忍び寄る敵の姿が、チャシから見ると沼に丸写しとなるので、いつも防備を固めて敵を敗走させることができた。
出展:「アイヌ伝承と砦」(宇田川洋)
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