浦幌発祥の地

発祥の地

令和6年(2024)5月18日(土) 豊頃駅~豊頃町茂岩市街~(道道320号線)~旅来チャシ~十勝河口橋~国道336号線~浦幌発祥の地~吉野~豊頃駅 40.3km 5時間30分

 国道336号線を北上し、左折しないで浦幌町の養老という地区から町道を真っすぐ行き、さらに砂利道を走ると、森に囲まれたところに浦幌発祥の地(浦幌町生剛)があった。ここには説明板と石碑があった。

【浦幌町誕生の由来】碑の概要
 明治33年4月1日、大津村外六ヶ村戸長役場から生剛・十勝・愛牛の3村が分離独立して、この地に生剛村外二ヶ村戸長役場が設置された。このときをもって浦幌町の誕生としている。
当地は十勝の玄関と呼ばれた大津にもっとも近い利便性で下浦幌原野の一部で明治29年から殖民地区画がなされ、岐阜農場や土田農場の事務所も置かれて村の中心地となり、前後して下浦幌駅逓所・浦幌簡易郵便局・浦幌尋常小学校(吉野小学校の前身)・生剛村巡査駐在所などの官公庁・旅館・理髪店・下駄屋・豆腐屋・獣医院・病院・鮮魚商などが順次整備され、市街地を形成した。明治31年には戸数265戸・人口1,174人となり、開墾最前線地と大津を結ぶ中継基地の役割を果たしていた。しかし、明治36年12月に省線釧路線が浦幌釧路間に開通して浦幌駅が開業したため、官公庁を始めとする主な施設は浦幌駅に移転。この市街地はわずか数年で姿を消し、一面の畑地と化した。
その後、生剛村は明治39年愛牛村と合併して二級町村生剛村、十勝・鼈奴・大津・長臼の4村は当縁・旅来の2村と合併して二級町村大津村となった。同45年、生剛村は浦幌村と改称。昭和29年町制を施行して浦幌町が成立。同30年、大津村のうち大字十勝村・大字鼈奴村・大字大津村の一部・大字長臼村の一部を編入して現在の町域が確定した。

【浦幌町発祥の地】碑
 表面には上記のとおり刻まれ、裏面にも浦幌町の由来が刻まれていたが、上記と重複しているので省略。

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