平成29年(207)8月15日(火)12:30発 (約12.4km 1時間35分)
次にメインの目的地である神威岬に走ることにする。野塚集落という道道と国道が交わるところであり、岬の湯の駐車場に車を停めて走り出す。
走り始めてすぐ安産地蔵という社を見つける。いろんなところを走るが、安産地蔵ははじめてである。
海岸は、キャンプや海水浴の観光客がすごい人で、車道も交通量が結構多く、側道が狭いので結構怖い。この岬に走って行っているのは自分だけであろうと思いながら走る。
途中で神威神社に立ち寄る。次の通り源義経伝説がまつわる神社であり、寛文3年というから結構古い。
【神社庁のHPより転載】
源義経公が蝦夷地に落ち延びて、今の神岬村神威岬にさしかかった際に風浪が激しく船を進めることができなかった為、岬の遙か沖合にたつ衣冠姿に見えた神威岩に大綿津見神、志那戸神を奉斎し航海の安全を祈願したところ通過できたと伝わり、アイヌの人々もこれを「カムイ」として尊崇していた(この伝説に付随して女人禁制となる)。その後、松前藩の地頭藤倉近兵衛が神殿を神岬村に創建しアイヌ語の地名を用いて「志屋古丹《しやこたん》明神」、「於賀武意《おかむい》明神」として奉斎し、寛文3年に出稼ぎの漁民が社殿を再建した。文化2年には松前正神主白鳥遠江守が祭主となっている。慶応2年、社殿を現在の来岸村に移し、神威明神と尊称し積丹郡中の守護神として崇敬した。明治3年、本殿拝殿を再建するが社格が無く、明治8年郷社に列せられ大綿津見神社と改称した。明治44年、余別・来岸・神岬・西河の各村社稲荷神社を合祀する。
【転載終了】
次にしばらく走ると、「しゃこたん場所運上地跡」を見つける。ここも宝永3年(西暦1706年)というから結構古い。ちょっと歴史を感じながら、また走り始める。
しかし、走れど走れど到着せず、距離が結構あり、岬への最後の道は登りで結構疲れた。
岬自体は観光客でごった返していて、道も狭いので結構時間がかかった。帰りも走ろうと思ったが、バスがちょうどあったので乗って、岬の湯まで帰る。
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