平成31年(2019)5月2日(木祝) 苫小牧市静川
安平山を登った後、時間が若干あるので、静川遺跡を訪問することに。ここには走っていくのはキツイので、車で行くことに。苫東基地から高速沿いに東に行くと静川遺跡の看板があり、左折して砂利道をしばらく行くと静川遺跡があった。
ここは巨大な茶色い丘であった。登って発掘した後の濠を探したが、見つからなかった。
【入り口看板の転載】
国指定史跡「静川遺跡」
・指定年月日 昭和62年1月8日
・指定理由及び説明
静川遺跡は、縄文時代の中頃(約4,000年前)の環濠と集落が発見された遺跡で、東西2つの地区に分かれています。環濠は東地区の台地先端を囲むように巡り、そのなかには2基の建物跡があります。西地区には、33基のたて穴住居が集中する集落跡があり、環濠をつくる人たちが生活していたと考えられます。このことから、環濠は日常的な生活の場所とは異なる特別な場所、聖域だったと考えられています。縄文時代の環濠は、全国的にも珍しく、その全容を知ることができた初めての例として貴重であり、当時の生活や社会を理解するために重要な遺跡であることから、国の史跡に指定されました。なお、この遺跡の資料は、苫小牧市博物館で保管されています。
所有者 株式会社苫東 管理者 苫小牧市
【転載終了】
【環濠手前の看板転載】
縄文時代の環濠は全国的にもめずらしく、全体が確認されたのは静川遺跡だけです。木や石の道具で、溝を巡らした環濠は今から4千年前の大土木工事の跡ということができます。環濠内には2軒の建物跡があり、ここには生活するための道具類はほとんど見られません。日常的に生活していた跡は見られないことから、環濠は「聖域」や「マツリの場」といった非日常的な空間を区画するためにつくられたと考えられます。自然の中で生活する縄文人にとって、共同作業によって環濠をつくり、マツリを行うことは集団を維持するうえで重要だったと考えられます。縄文社会の精神的な一面を知るうえで、重要な遺跡といえます。
【転載終了】
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