平成22年(2010)8月15日(日) 北鎌倉駅1032→建長寺1040→半僧坊→大平山1120→杉本寺→衣張山1230→鎌倉駅1300
昨日ランニングの疲れと、飲みすぎて二日酔いで寝坊。今日はいろいろと迷ったが、日帰り山さんぽという雑誌にでていた近場の鎌倉アルプスへ。最近走ってばかりなので、家で筋トレ、基本稽古をしてから北鎌倉に向かう。建長寺を見てから、裏の半僧坊へ。筋トレ後の階段はキツい。そこから天園ハイキングコーチへ。このコースは前に走ったことはあるが、大平山には行けていなかった。しかし今回は偶然にも大平山の頂上に立つ。鎌倉市内が一望できる。その後瑞泉寺の予定だったが、一つ前の沢で降りしまい鎌倉市内に。結構疲れたのでここでやめようと思ったが惰性で杉本寺方面に進み衣張山の入口に来たので、どうせだからエイヤーで行ってしまう。しかし、暑い。こちらのコースは他人も少なく踏み後も狭く草が鬱蒼としている。あっという間に頂上に到着。逗子方面の景色が良い。さらに向かう途中のパノラマ台はさらに景色がよかった。本日一番ではないだろうか。最後の名所、名越切り通しに向かうが、何か岩の間を通ったなと思ったら、そこだった。がっかり。そこを下ると逗子の町。鎌倉まで帰るのに少し迷いましたが約三時間で行程終了。暑くて疲れました。
【建長寺】神奈川県鎌倉市山ノ内8
建長7年(1255)2月に造られた梵鐘(国宝)に「建長禅寺」とあるように、当寺はわが国で最初に”禅寺”と称した中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場である。およそ、中世を通じての寺院は、1か寺で天台宗と真言宗・浄土宗などを兼ねている例が多かったから、建長寺のような1寺1宗という浄刹はたいへん珍しかったといえる。
しかし、寺が建てられる前の寺域は、地獄谷とよばれた罪人の処刑場になっていたと伝えられていた。この谷に地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていたが、建長寺を開創するにさいし、時頼によって堂は巨福呂坂に移され、現在は横浜三渓園に移設されている。その本尊と伝える地蔵菩薩坐像が、千体地蔵にかこまれて建長寺仏殿内に安置されている。
【半僧坊】
明治中期の建長寺住職 おおぞら霄 かん貫どう道和尚は、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない。」と告げ、フッと姿を消してしまった霊夢を見られました。このお姿こそ半僧坊の眞姿で、建長寺の鎮守に相応しいと、自ら奥山の方廣寺(静岡県浜松市引佐町奥山 臨済宗方廣寺派大本山)にお出向きになりご分身を願われ、明治二十三年五月、建長寺の内で最も景色の勝れた勝上?に安置され、直ちに堂宇を創建して現在の鎌倉半僧坊本殿の礎を築きました。明治二十九年三月八日平塚市の大火災や五月二十四日三浦市三﨑の大火災の折りに僧坊の御身体が身代わりとなって火災を免れたり、関東大震災の時には、ご尊像の捧持してあった金庫が何等の損傷もなかったこと、また最近では、阪神淡路大震災の折、半僧坊火盗除霊札をおまつりしてあった信者さんの家は何事もなく無事であったこと等々、霊験あらたかで家内安全、厄災消除、商運隆昌、安産守護、大漁満足、交通安全、等々、御利益は誠に甚大なものがあります。
【大平山】159.4m
大平山の後、瑞泉寺へ向かう予定だったが、一つ前の沢で市街地に降りて、杉本寺から衣張山に向かう。道は天園よりも荒れている。
【衣張山】121m
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