六代御前の墓・葉山・前島密翁の墓

三浦半島一周

平成22年(2010)8月28日(土) 逗子駅9:00→葉山10:00→三島口駅12:00
 三浦半島1週にチャレンジシリーズ。暑い日が続くが逗子からスタート。

【六代御前の墓】神奈川県逗子市桜山
 鎌倉時代に、平家の末裔で鎌倉に送られ、この辺で斬首されたそうな。悲しい。以下、市のホームページより抜粋。
六代御前は、平正盛-忠盛-清盛-重盛-維盛に続く平家嫡流の六代目で、名を高清(高盛とする説もある)といいます。 文治元年(1185年)、壇の浦の戦いで平氏が滅亡すると、母とともに京都嵯峨に身を隠していた六代も北条時政に捕らえられました。 しかし、高雄山神護寺の文覚(もんがく)上人の尽力で助けられ、妙覚と名を改めて仏門に入りました。
 その後、六代は神護寺などで修行に励み、十数年の歳月が流れましたが、建久9年(1198年)に再び 捕らえられて鎌倉に送られ、 田越川のほとりで斬首されたということです(処刑の場所や没年については諸説あり)。

 トンネルを通り、葉山の御用邸を訪問。写真を撮ったら職務質問された。

 葉山の海岸線に出た。きれいな海。横須賀に入る。

【前島密翁の墓所】神奈川県横須賀市芦名2丁目30
 浄楽寺には、戒名や墓碑銘もない墓らしからぬ富士山の形をした前島密の墓があります。前島密は、晩年、浄楽寺境内に山荘を築き、「如々山荘」(如々とは、ありのままの姿の意)と名付けたこの山荘で静かに自叙伝を執筆しました。墓のある場所は、山荘の前島夫妻の富士山を眺めるスポットであったそうです。
 前島密は、天保六年(1853年)、越後国中頚城(なかくびき)郡津有(つあり)村下池部(現在の新潟県上越市下池部)の上層農家に生まれました。”郵便の父”と称され、明治期に郵便事業を創業したばかりでなく、鉄道の敷設、新聞の発刊、陸運会社の設立、東京専門学校(現、早稲田大学)の創立などに関わり、明治政府の殖産興業や文明開化の施策を推進させ、新しい国づくりに尽しました。
 横須賀製鉄所の創設者と知られ、幕末にすでに郵便制度を提唱していたとされる小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)の遺児国子は、成人して婿を迎えますが、その際、密は仲人をつとめています。前島密は、生前の小栗上野介忠順と繋がりをもっていたのでしょう。

 三崎に入る。農業地帯を通り三島口駅から帰る。

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