城ヶ島大橋~三浦海岸

三浦半島一周

平成23年(2011)1月3日(月) 10:30城ヶ島大橋~12:30三浦海岸
 天気もイマイチで、正月でだらけており、寝坊したため、近場の三浦半島一周の続きを実施することに。三崎口まで電車で行き、その後バスで城ヶ島大橋まで向い、そこから走る。しかし、デジカメを持ってきたのだが、カードが入っておらず、仕方なくアイフォンで撮ることに。
 走り始めてすぐ、道祖神や碑がある。大根畑の向こうに富士山が見える。盗人狩方面の海岸にはいると風力発電が間近に。久里浜の街が見えてきた。鎌倉時代初期の豪族、三浦義村の墓である。古いが、周囲の神社も荒れている。

【三浦義村】
 生没年:?-1239(延応1)鎌倉前期の武士。義澄の子。幼名平六。相模国の大族三浦氏の嫡流を継ぎ,すぐれた政治的判断力をもって数々の危機を回避し,三浦氏嫡流家の保全を実現した。1213年(建保1)同じ三浦一族の和田義盛が北条氏の挑発にのって軍事行動を起こした際,加勢を約束しておきながらどたん場で寝返ったため,義盛敗死後〈三浦の犬は友を食う〉と非難されたことは有名。承久の乱では弟胤義から京方に誘われ,伊賀氏の陰謀事件に際しても伊賀光宗の誘引をうけるなど,反北条氏勢力の動向に微妙に反応しながらも,最終的には北条氏に荷担して反北条氏勢力を制圧し,相対的に三浦氏嫡流家の政治的地位を向上させた。25年(嘉禄1)北条泰時によって創設された評定衆にも名を連ね,幕府政治に強い影響力を行使した。

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