野島山・梅田隧道之碑・伊藤博文公別邸

三浦半島一周

平成23年(2011)2月5日(土) 
1310 横須賀中央駅
1430 野島公園・野島山(57m)
1530 伊藤博文別邸
1545 シーサイドライン野島公園駅

 最近、仕事が大変で残業続き。昨日は早く帰れるかと思いましたが、職場で飲み会が始まってしまい、結局、帰ったのは23時。でも休日出勤がないのでいいか。今日は午前中次男の授業参観だったので、午後からランニング、三浦半島一周の続き、横須賀中央駅から国道16号線を北上。田浦の辺は前にも一度走ったことがある。この辺はトンネルが多い。明治の時代の庶民が自力で作ったトンネルを通りしばらくいくと、日産の追浜工場、祖して野島公園に着く。ここは島になっていて、さらに小高い山の上には展望台があり、東京湾、横須賀の港、八景島シーパラダイス、日産の追浜工場内が良く見える。山の名前が付いているのなら、山業歴にもいれよう。展望下には芝生の広場があるので、裸足で基本、形、補強を久々にみっちりとやった。公演を降りると伊藤博文公別邸をみて、野島公園駅知覚の銭湯(汚いが混んでいる)に入って帰りました。

 トンネルと古い町並みが続く。田浦は梅林まつり。

 追浜から金沢八景に向かうと、梅田トンネルがありそこを通ると、結構歴史のあるトンネルだった。以下、横浜市のネット。
【梅田隧道碑(大正4年建立)】神奈川県横須賀市浦郷町2丁目31
 梅田隧道は、明治19年、船越新田から田浦村および浦郷村にかけて、海軍水雷営と水雷修理工場ができ、田浦、船越、浦郷の海岸はほとんど海軍用地となって上陸禁止となり、船を使うことができなくなったため、けわしい山坂をさけて梅田坂に新道をつくることになった。明治20年、素掘りで開通。地元の有志の私財により完成した。工事費の軽減から監獄の服役囚延べ4千人を使ったという。また、トンネルの掘削で出た残土は榎戸の渡船場周辺から日向にかけての埋立てに利用された。トンネルの開通によって、それまで何時間もかけて山越えして海軍工廠造兵部に通う職工は、大変便利になった。素掘りのトンネルは落盤の危険があるため、無事に通りぬけることができるようトンネルの中に燈明をともし観音様などを祀ったという。

日産追浜工場。野島公園が見えてきた。山なのでびっくり、以下、頂上からの風景。

【伊藤博文公別邸】横浜市金沢区野島町24 野島公園内
 旧伊藤博文金沢別邸は、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文により、明治31(1898)年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築です。伊藤博文が風光明媚な金沢の地を好んで建てたといわれ、大正天皇や韓国皇太子なども訪れました。
 明治時代、富岡などの金沢近辺は、東京近郊の海浜別荘地として注目され、第4・6代内閣総理大臣の松方正義や大蔵大臣・外務大臣等を務めた井上馨、日本画の大家の川合玉堂などが別荘を設けました。その後、大磯や葉山などが別荘地として栄え、金沢はその役割を終えました。旧伊藤博文金沢別邸は、当時の別荘地の数少ない貴重な建築遺構です。
 平成18(2006)年11月には、横浜指定有形文化財に指定されましたが、建物の老朽化が著しかったことから、平成19(2007)年解体工事・調査を行い、現存しない部分を含め、創建時の姿に復元することになりました。
 平成20(2008)年6月から工事に着手、平成21(2009)年10月に庭園と併せて竣工しました。
 邸内では、伊藤博文に関する資料や調度品などを展示しています。また、庭園からは海が一望でき、金沢区の花「ボタン」をはじめ、四季折々の花を楽しむことができるなど、歴史・文化に触れ合う市民の憩いの場として公開しています。

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