平成23年(2011)4月17日(日)単独
0740湯河原駅
0759奥湯河原温泉
0828城山入口
0843城山
0930城願寺
昨日は休日出勤だったが、上司もおらず、また、事件もなく平和だった。今日は天気も良く気分も安定しているので、まだ行っていない湯河原方面の山に行くことに。最初は幕山と思ったが、軽めの城山に行くことに。湯河原の駅で降りて、バスに乗って奥湯河原に向かう。渓谷沿いの温泉街だ。奥湯河原入口で降りて通称、椿街道を登る。しかし、この道は九十九折の舗装路でバイクが飛ばしてやたらと怖いのだ。当初はししどの窟に行こうと思ったが、やめて早々と城山入口からに登る。あっという間に頂上に。土肥城跡の碑がある。相模湾や真鶴半島が綺麗だ。その後ろには、芦ノ湖方面の山々。帰りは城願寺方面の林道を下る。桜の花が綺麗でした。城願寺に寄り鎌倉時代の土肥一族の墓所にお参りして、駅前の旅館の温泉に入って帰りました。
湯河原駅前。
【土肥実平夫妻銅像】
銅像は、土肥実平夫妻だそうだ。ネットによると土肥実平のお陰で平氏を滅し鎌倉幕府大業成功させた功績を称え、昭和55年湯河原駅前に實平の銅像が建立された。
公の夫人は民や農民に姿を変えて敵を欺き、椙山に潜む源頼朝主従に食糧を運び消息を伝えるなど、その”心さかさかしき”は武人の妻の鏡として後世にまでたたえられている。
奥湯河原の街並みを走り、通称:椿街道を走る。桜と椿が綺麗だ。
城山山頂。土肥城址跡碑がある。初島、相模湾、山並みが見える。桜の向こうに真鶴半島、桜と花々が綺麗だった。
【城願寺】神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252
湯河原町の城願寺は約九百年前、この地(相模土肥郷)の豪族土肥次郎實平が、萬年の世までも家運が栄えるように「萬年山」と号して持仏堂を整えたことからその歴史は始まる。鎌倉時代後期には五山十刹につぐ寺格である諸山に指定され、西相模地方では指折りの禅刹だったと伝えられる。その後衰退していたが、南北朝時代に土肥氏の末裔の土肥兵衛入道が、清拙正澄(大鑑禅師)の弟子の禅僧雲林清深を開山に招請して再興。もと密教寺院だったものを臨済宗に改め、清拙正澄を勧請開山(名目上の開山)とした。やがて土肥氏が失脚し、小田原大森氏の時代になると再び衰退するが、戦国時代に大州梵守-大永5年1525年卒-(早川村海蔵寺三世、肥田山保善院三世)が再興、曹洞宗に改宗し現在に至る。
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