江ノ島~辻堂海岸~辻堂駅・辻堂駅開設記念碑

開拓の歴史以外の石碑等

平成23年(2011)6月4日(土) 江ノ島~辻堂海岸~辻堂駅・辻堂駅開設記念碑 9:30~10:30 

 昨日は、飲み会でもあるし、それほど仕事も忙しくなかったので、早く帰ることができると思ったが、急遽、予算の関係で仕事が入り、終電に乗ることが困難に。仮眠室で休んで帰ろうと思ったが、新橋のカプセルホテルに泊まることに。しかし、4,000千円も取られ、しかも、シャワー室が一つしかなく、前に入っているオヤジが異常に長く、15分以上も待たされ、やっと2時頃就寝。今度はイビキがうるさく眠れなく、うつらうつらとして4時半頃起きて、始発で帰った。朝、2時間ほど寝て、天気も良いので、走ることに。今日はまだ行ったことがない、江ノ島から辻堂海岸、辻堂まで約1時間は走りました。しかし、海岸ではサーファーが多く、自分もやりたくなったな。

辻堂駅前で石碑を発見。

辻堂駅開設記念碑
 碑の背景・1872年に新橋-桜木町間で開通した鉄道は1887年7月に国府津まで延長された。 辻堂駅は国府津迄延長された26年後の1913年に先ず、信号所が設置された。 しかしながら、客扱いをするまでにあと3年待たねばならなかった。信号所か開設された翌年に地元に停車場設置期成同盟会が発足し、駅設置運動が始まった。1916年12月に用地と建設資金を地元が負担して駅が開業した。
 碑文:相模之地西北負山箱根足柄丹澤雨降※@起伏東南直臨干太平洋為(※:虫偏に宛 )一大湾曲而其沿海自三浦半島到鎌倉郡江之島為東部高座中両郡為(@:虫偏に延)中部足柄下郡為西部而東部曲折如屏西部亦其一半岬磯参差獨中部而其所属干高座者海濱長汀相連陸上地廣産亦豊也古来稱此南端一
帯之地區日砥上原後方遥控富嶽於長空碧落之表面近望伊豆七島於煙波※@之間白沙靑松風光明媚而其氣候之順良宣於避暑宣於凌(※@部は下記)寒可謂湘南之一勝地矣是為辻堂此地延干東海鐡道之線路在藤沢茅ケ崎之間而官未至設停車場也地方人士有深惜於此捐資獻地以請官遂為其所納矣大正五年十二月一日停車場竣工開通而稱辻堂驛嗚呼此勝地而加以鐡路交通之便自今而後此地方之繁榮可立而待也茲列
記捐金者之氏名干碑陰併録其由云爾 牧野精處撰又書
 文意:相模の地は西北に山を負い、箱根・足柄・丹沢・雨降(大山)がうねうねと長く連なっており、東南は直接、太平洋に臨み一大湾曲をしている。 その沿岸、三浦半島から鎌倉郡江の島に至るを東部と、高座郡・中郡を中部と、足柄下郡を西部としている。 そして、東部は屏風のように折れ曲がり、西部もまたその一半は岬や磯が入り混じっている。 ただ中部のみは其の高座といわれるように、後方、はるかに富士山が晴れ渡った大空に控え、前面の近くには伊豆七島を太平洋の波の向こうに見える。 白砂青松、風光明媚にして気候は避暑にも寒さを凌ぐのにもよい。 湘南で一番景色が良いというべき所が辻堂である。 この地は東海道線の線路に沿って藤沢と茅ヶ崎の間にあって、鉄道院では未だ駅を設けるには至っていない。 この地方の人達は大変に残念がり、ここにおいて資金を出し、土地を提供して鉄道院に請願をし遂にそれを受け入れて貰う事と成った。 大正五年(1916年)十二月一日停車場が竣工・開通して辻堂駅と云う名前になった。 今後はこの地方が繁栄して行くのを待つだけである。 ここに資金提供者の名を碑の裏に列記し、併せて由来を記録する。

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