北鎌倉・東光寺・大慶寺・等覚寺

寺社

平成23年(2011)10月10日(月)10時半頃~12時頃 体育の日 家~北鎌倉~山の上~湘南深沢~(寺巡り)~大船

 三連休の最終日、どこか山でも行こうかと思ったが、寝坊して出遅れた。このため、またしても、今日は近場の鎌倉をランニング。北鎌倉駅。山の上で田んぼ。所ではないが、延命地蔵尊見つけ拝む。緑の中に屋敷が多い。山の上ロータリー。湘南深沢駅。モノレールが停まっている。

【真言宗東光寺】
 寺分の静かな住宅地にあるのは古義真言宗高野山派の天照山薬王院東光寺である。もと手広青蓮寺の末寺であったが、現在は高野山宝寿院の末寺。現在、本尊は不動明王であるが、もともとの本尊は不明。また、開基、開山、宗派も不明となっている。永享3年(1431)に高野山慈眼院の霊範法印が隠居所として中興したという。

【大慶寺】
 大慶寺は鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺で霊照山(現在は霊松山)と号します。創建は弘安年間(1278~1287年)と伝えられていて、ご本尊は釈迦如来像で鎌倉市文化財に指定されています。境内には樹齢700年と伝わる柏慎(びゃくしん)2本(市天然記念物)、宝篋印塔2墓(市有形文化財)があります。
 大慶寺の歴史は古く、室町時代、幕府による禅宗保護の一環で至徳元年(1386年)二階堂の瑞泉寺と共に関東十刹に列せられました。当時は5つもの塔頭や薬師堂、地蔵堂があり深沢周辺(現在の深沢中学校の辺り)に広大な寺域を持っていました。大慶寺周辺一帯は「寺分」という地名ですが、これはもともと大慶寺の寺域に由来しています。
 大きな寺院だった大慶寺ですが、永生9年(1512年)北条早雲の鎌倉攻めにより焼失しました。奇跡的に焼け残ったご本尊は上杉謙信の鎌倉攻めの噂を聞き円覚寺に預けるものの数年後、永禄6年(1563年)に円覚寺焼失により完全に焼失しました。 大慶寺の当時の遺物としては、大慶寺の山門の柱が円覚寺国宝の洪鐘の柱として今でも残っています。

【等覚寺】
 本寺は休場山弥勒院等覚寺と称し、高野山真言宗に属する。 開山は秀恵僧都で応永年間(1394~1428年)の創建という。 本尊は不動明王、また出世子育て地蔵尊を安置している。訓蒙学舎(現在の深沢小学校の前身) 創設の地でもある

 昼飯は、大船駅手前の天神下の、とりそば「ささ」。あっさりしていてうまかった。

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