後志利別川・兜野神社

景勝地

平成24年(2012)4月8日(日) 15:30~16:30 北檜山市街~後志利別川~兜野神社 

 横浜に住み、東京霞ヶ関勤務の生活から、せたな町に単身赴任となり、初めての街角ランニング。本日は天気も良く、狩場山塊、遊楽部山塊もよく見える。今日は、比較的近場と思われる太櫓地区に向かったが、夜に急に用事が入ったので、兜野神社で引き返した。

【後志利別川】開発局ホームページより
 後志利別川は、その源を噴火湾岸に近い長万部岳に発し、山間部を流下し今金町住吉において平野部に出て、今金市街部でオチャラッペ川、利別目名川等を合わせ、瀬棚町で日本海に注ぐ、道南で唯一の一級河川です。
 流域は温帯気候の北限に位置し、日本海を北上する対馬海流の影響で比較的温暖です。
 流域は、先土器時代の美利河遺跡やアイヌ文化の遺跡が発見されたように、サケの漁場として古くから開け、人々の生活の拠点でした。江戸時代の寛永年間には、上流で砂金が取れる黄金の大地として注目されました。その後、明治20年代からは農業開発移住団が入植し、砂金に代わって黄金色の稲穂が大地をおおう、道南有数の穀倉地帯へと変貌を遂げています。
 また、サケやサクラマスがのぼり、アユやヤツメウナギなどが生息する環境はたいへん美しく、全国の一級河川のなかで、国土交通省が毎年認定する「清流日本一」に昭和62年から平成18年の間に10回も輝いています。

 後志の利別川と、十勝の利別川は共に大川でかつ有名な川であるが、その名の意味も共にはっきりしない。
 Tu・shi・pet(山の走り根・大きい・川)「走り根・大川」、Tush・pet(綱・川)という解釈がその音からなされるとする説と、東西二つの利別を「蛇川」と説く永田氏の説がある。アイヌの伝承にまるで違った意味がでてくるところからみても、この意味は忘れられてしまったもので、どれも推定説を出ないであろう。 

【兜野神社】
 由緒は、ホームページで検索してもよくわからない。庚申塚があり、明治33年と記されている。

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