平成30年(2018)1月30日(火) 約6.2km 時刻夕方
福岡県に出張。その当日の早朝、二日酔いの体をたたき起こして、中洲のホテルから福岡城まで走ったが、真っ暗で何もわからなかった。しかし、その日の夕方、まだ、明るいうちに、ちょっと時間ができたので、福岡城址まで行ってみることにする。
時間もあまりないので、地下鉄で博多駅から唐人町まで走り、大濠公園の横を福岡城址に走っていく。
本丸跡は、石垣で少し高くなっており、展望台が整備されていた。展望台からは福岡市内の周囲が綺麗に見渡せた。黒田長政が築城した戦国と江戸時代の風情、そして、大都市福岡の景色を楽しみながら、少し佇む。
【福岡城址の紹介】
豊前国中津12万石から筑前国福岡52万石に移封された初代藩主黒田長政が、慶長6年(1601)から7年がかりで築城した城で、舞鶴城ともいう。平山城で、天守閣はなく大中小の各天守台と47の櫓があったという。本丸、二の丸、東二の丸、南二の丸、三の丸で構成された内城部分で413900㎡、城下の武家屋敷まで含めば2460000㎡もの広大な規模を持つ城郭である。
現在、内城を中心とした48万㎡が国指定史跡である。また、多聞櫓(重要文化財)、伝潮見櫓(県指定建造物)、下の橋大手門(同左)、祈念櫓(同左)、母里太兵衛邸長屋門(同左)、名島門(市指定建造物)が保存され、大天守台は展望台になっている。北側の堀は一部埋め立てられていたが、地下鉄工事により調査され、その一部(堀外壁石垣)が保存公開されている。
本丸から三の丸一帯が舞鶴公園として、市民の憩いの場となっている。また堀には県指定天然記念物のツクシオオガヤツリが自生する。城内には万葉歌碑があり、もとの平和台野球場付近では、昭和62年12月に鴻臚館(国指定史跡)が発見された。
福岡城址の近くに護国神社があったので、寄ってみる。やたらと警察の車がいたが、夕方になったのか、走り去っていった。やたらと広い敷地に立派な社殿がそびえたっていた。
【福岡県護国神社の由緒】
明治元年、福岡藩主の黒田長知公をはじめ、県内の旧藩主等が明治維新で国難に殉じた人々を顕彰するため、招魂社を設立し、祭祀をおこなったのが始まりです。
コメント