令和5年(2023)9月3日(日) 紋別市上藻別
道道紋別丸瀬布線を丸瀬布に向かう途中、鴻之舞鉱山跡に立ち寄った。ここに東洋第一の金山があり、鉄道があり、1万6千人もの人々が暮らしていたとは驚きだ。現在では鬱蒼とした森が広がっている。「鴻之舞鉱山跡」「鴻紋鉄道記念碑」「鴻之舞鉱山慰霊碑」「鴻之舞鉱山開山100周年記念碑」
【鉱山の概要】
大正6年2月以来、住友によって稼業。東洋一の大金山といわれたが、鉱量の枯渇により昭和48年10月をもって56年に及ぶ歴史を閉じた。
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令和5年(2023)9月3日(日) 紋別市上藻別
道道紋別丸瀬布線を丸瀬布に向かう途中、鴻之舞鉱山跡に立ち寄った。ここに東洋第一の金山があり、鉄道があり、1万6千人もの人々が暮らしていたとは驚きだ。現在では鬱蒼とした森が広がっている。「鴻之舞鉱山跡」「鴻紋鉄道記念碑」「鴻之舞鉱山慰霊碑」「鴻之舞鉱山開山100周年記念碑」
【鉱山の概要】
大正6年2月以来、住友によって稼業。東洋一の大金山といわれたが、鉱量の枯渇により昭和48年10月をもって56年に及ぶ歴史を閉じた。
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