令和5年(2023)10月22日(日) @帯広市帯広の森
芽室町ので水泳大会の後、帯広の森の史跡を二つ訪問した。最初に訪問したのが掩体壕。少し迷ったが、小さい看板があったので訪問。無害型掩体壕という形式で、飛行機を形どった木が埋め込まれていた。近くの陸上自衛隊の飛行場が旧軍の帯広第一飛行場で、このほかに46基あったようだ。次に森の中を走って北上すると宮本遺跡。子供の遊び場になっていた。以下、説明板を転載。
【掩体壕】・・・このコンクリート塀は戦闘機を敵から隠すためのもので掩体壕といい、第2次世界大戦中に建築されました。当時この近辺には同型の掩体壕が全部で46基、現在の十勝飛行場を囲むように南側に存在しており、それぞれの戦闘機が誘導路を通って飛行場内の滑走路から飛び立っていきました。現在、帯広の森内で確認できる掩体壕はこの1のみです。地面に間伐材で描かれた戦闘機の投影図はほぼ原寸大(長さ9m、幅12m)となっています。
【宮本遺跡】・・・宮本遺跡は6千~4千年前頃(縄文時代前期~中期)に利用されていた遺跡です。昭和58~60年に自由ヶ丘団地を造成するときと、平成5~6年に帯広国際センター等を建設するときに発掘調査が行われ、たくさんの土器・石器類と竪穴住居跡、貯蔵穴落とし穴などが見つかりました。落とし穴は長さ3m、幅1m、深さ1m前後の細長い形で、単独または列状に並んで19基ありました。シカをとるために設置されたと考えられています。また、この遺跡では、木の実などをすりつぶす道具(すり石)もたくさん見つかりました。植物質の食料が大量に加工されていたこともうかがえます。
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