令和5年(2023)12月30日(土) 家~桑園~北大~斜め通り~本龍寺~環状通~北大~家 約16km 2時間25分
今日の目的地は本龍寺(北海道札幌市東区北十四条東十五丁目四十二)である。家から桑園・北大を通り、ファイターズ通り・斜め通りを走って、本龍寺に到着。ここには何回も訪問しているが、ちゃんとレポートするのは初めてである。
東側の通用門脇に三つの石像が入った建物があり、その向かいに小さな祠があった。
【馬頭観世音碑2基】・・・本龍寺の東側にある通用門脇に小さな祠が建てられていて、祠の中には二基の馬頭観世音碑が安置されている。台座の上に置かれた奥の方に、石の台上に馬頭観音像が彫られた石碑がある。手前には、丸みを帯びた自然石の碑が置かれており、碑面に「馬頭観世音」と刻まれ、その左側に小さく「昭和十〇年十月〇一日」と添えられています。
そして、山門に向かって石碑が二基並んでいた。
【日蓮大菩薩碑】・・・碑面中央には大きく「南無妙法蓮華経日蓮大菩薩」と刻まれ、その右側に「清正大神儀」、左側には「開拓大神儀」と刻まれている。また、碑の左側面には、「爲 音松院廣運日行居士 深達院妙觀日善大姉 菩提」と刻まれ、その左側に「四海唱道(以下詳細不明)日耀〇書」と添えられている。「四海唱導」とは、日蓮宗最初の寺院である京都市の妙顯寺に後醍醐天皇から下された綸旨のことで、「世界中の人々を法華経の教えに導き、その功徳によって人々を救う」という意味がある。碑の右側面には「當山嗣法 向後智静代」と、また背面には「明治十二年八月造立 安田徳次」と刻まれている。碑の台座の上台正面には、「妙見山本龍寺」と刻まれている。
【馬頭観世音碑】・・・台座の上の石碑には左記のとおり刻まれている。多くの馬頭観音を見てきたが、これほど立派なものは初めてだ。裏面には碑の上部に「建立」という文字が刻まれているのが辛うじて読み取れるが、よくわからない。
【札幌妙見尊霛場】碑・・・山門の脇にある自然石でできた石碑が「札幌妙見尊霛場」碑で、「霛」は「霊」の異体字だそうだ。碑面には大きく「島判官守護神 札幌妙見尊霛場」と刻まれ、碑に向かって左手に由来が記された説明板が立てらている。内容は次のとおり。「札幌の妙見さま由来 当山の妙見堂に奉安する妙見大菩薩の尊像は、右手に剣を持つ高さ約二寸の小さな木造で、「札幌きりひらき」の二恩人と仰がれる開拓幕吏大友亀太郎翁と初代開拓使島義勇判官が「札幌創建の心願成就」を祈願した尊い開拓開運の守護神であります。慶応三(一八六七)年、創成川大友堀を開創し、札幌村開拓の首導者となれる幕吏大友亀太郎翁が、開拓の激務・心労のため、病魔に倒れるも、島判官の兜の八幡座に安置されていたこの妙見大菩薩を信仰し、眼病はもとより、病気平癒し、身体健全・開拓成就・所願成弁の利益を賜りました。よって、慶応四年(一八六八)年、島判官をはじめ、多くの開拓民が、心を合わせて、妙見堂を建立し、この尊像を奉祭しました。爾来、春風秋雨、すでに一百数十余年、札幌最古の霊場史蹟として世に知られ、「札幌うぶすながみ」の信仰がよせられて、多くの祈願する人々をして、必ず心願を成就せしめ、霊験は愈々あらたかであります。八月一日二日の例大祭には、開拓者の慰霊供養、札幌住民の家内安全を祈願し、奉賛会による、すもう、みこし、もちまき、演芸・福引などで、にぎわい、夏の風物詩をおりなしています。(行事略)妙見尊奉賛会」この妙見大菩薩像は、境内の中に建てられた妙見堂の中に安置されているそうだ。
【開拓信仰 幕吏 大友翁史蹟】・・・左記のとおり大きく刻まれ、碑の裏面には多数の氏名が刻まれている。
北側の門には、「北海道最古之霛場」の石碑を見つけた。
後日(1月5日)、同寺の敷地に「札幌村創建百年碑」を発見した。その隣には「さっぽろ・ふるさと文化百選」「本龍寺の妙見堂」の説明板を発見。概要は「慶応2年御手作場(後の札幌村)を開墾した大友亀太郎が開拓民とともに同4年に創建。開拓使判官島義勇が快癒祈願のために送った妙見菩薩像が安置。亀太郎直筆の掛け軸や妻が寄進した鰐口などの遺品が残されている」のとおり。
そして、紙の「開運の妙見さま由来」がガラスに入っていた。概要は「尊像は右手に金の剣を持つ高さ2寸の小さな木像。島判官と大友亀太郎札幌建設の心願成就を祈願した開拓開運の守護神。開拓の激務心労のため、大友は病魔に倒れるもこの妙見大菩薩を信仰し、眼病はもとより諸病平癒、身体健全に、開拓成就、所願成就の利益を賜った。(以下略)と記されてきた。
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