令和6年(2024)1月6日(土) 信濃神社(北海道札幌市厚別区厚別中央4条3丁目3番3号)
信濃神社の境内で様々な石碑を発見。ここは以前にも来たことがあるがきちんとしたレポートをしていなかった。境内に入って左手に「合祀碑」があった。裏面は木に被われていた。
【合祀碑】
「昭和二十年八月十五日におわりを告げた太平洋戦争は我が国にとって建国以来最も悲惨であり極めて重大な敗戦をもたらせた呪うべき戦であってこのため我が旧白石村(白石町厚別町上白石町)から動員された数多くの軍人軍属又は学徒動員は祖国のため陸に海に空に酷寒灼熱を克服し砲煙弾雨の中に悪戦苦闘して遂に多数の戦傷死者を出したことは誠に痛恨哀惜の極みであり吾々国民の永久忘れることの出来ない重大な事実である しかも終戦後公表された三百九柱の英霊は今だに忠魂碑に合祀されることもなく時の経過と共に漸次国民の脳裏から薄らぎ去ることも懸念される次第である 茲に於て当彰徳会が主体となってこれらの英霊を合祀すべく全地区住民組織に求めたところ協賛を得たので建設委員百有余名は相協力して住民より浄財を募り即ち一金拾壱万円也をもってこの合祀碑を建設して永久に祖国のため散華した英霊を慰め以って国運の発展を祈るものである 昭和三十年九月十四日 札幌市白石彰徳會」。
その隣には「忠魂碑」。左下に「海軍中将従四位内野辰次郎書」と刻まれている。
そして社殿側に「馬頭碑」があった。裏面には「厚別町愛馬会馬頭碑建設委員」として数多くの氏名が刻まれており、昭和29年10月5日建立と刻まれていた。
社殿の方には「厚別開基百年之碑」があった。
【厚別開基百年之碑】
碑には上記のとおり刻まれ、その下に「札幌市長 板垣武四 書」と刻まれていた。裏面には「碑文 歴史は悠久にして貴重な時間の流れである 厚別は河西由造氏外十二名(信州信濃)の入植に始まり 当時不毛の泥炭湿地 森林火山地帯のこの地に先駆者は遠大な理想のもとに開墾に着手 打続く水害冷害の災害に禍いされながら 此の窮状を克服 爾来風雪百年 今ここに政令都市札幌の副都心として この繁栄を子々孫々に伝えることを希い茲に「厚別開基百年記念碑」を建立する所以也 昭和五十七年九月吉日建之」と刻まれ、それに続けて、「厚別開基百年記念事業協賛会役員名」として61名の氏名が刻まれていた。
社殿の左手に大きな石碑があった。
【信濃神社御鎮座百年記念碑】
碑面には上記のとおり刻まれ、その脇に「文部大臣 町村信孝書」と刻まれている。裏面には「碑文 明治三十年 長野県諏訪大社より、出身者河西由造等先人によって、開拓の守神・心の拠所として、厚別の地に奉遷されてよりこのかた、御鎮座百年を迎えた。一世紀に亘り、祭祀の厳修神社の護持に、神明奉仕の至誠を捧げて来た、先人の万古不易として、ゆるぎなき精神・伝統の継承を担うべく、この佳節にあたり、有志・氏子一同参集所建設と併せ、記念の碑を建立する。平成十年九月吉日」と刻まれていた。
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