京都市(東寺・新選組洛中屋敷跡等)

寺社

令和6年(2024)1月22日(月) 京都府京都市 京都駅~東寺~粟嶋堂~新選組最後洛中屋敷跡 4.2km 35分 

 関西出張1日目。京都駅近辺の史跡巡り。東寺には入れなかったが、久々に訪問。

【教王護国寺(東寺)東堀跡の説明板の概要】
 平安京遷都にさいし国家鎮護の寺院として弘仁十四年(823年)、弘法大師空海によちり給預された。伽藍を築地で囲う東寺は、鎌倉時代から室町時代に度々戦場となり、室町時代に防御のために四周に堀を築いた。見つかった堀はこの時に造られた東堀。

【粟嶋堂(宗徳寺)(説明板概要)】
 西山浄土宗に属する宗徳寺の一堂で、堂内に粟嶋明神を祀る。応永年間(1394~1428)南慶和尚が紀伊国淡嶋から栗嶋明神を勧請して上洛する際、当地辺りでご神体が重くなり、神意としてここに祀った。

【此付近 新選組最後洛中屋敷跡(説明板概要)】
 当地は、平安京左京八条二坊十五町にあたり中世には八条院町とよばれ、鋳物生産が行われた。幕末期、新選組がこの地域に屋敷を設置。池田屋事件や禁門の変での活躍、局長近藤勇の政治的力量が高く評価され、慶応三年(1867)、将軍徳川慶喜の直属となり、これにあわせての新屋敷の建設。隊士の宮川信吉の書によれば、同年6月15日に入居。同年12月の王政復古政変により、新選組はわずか半年で当屋敷を離れ、翌年1月の鳥羽伏見の戦いの敗北の後、関東に下り、解体の道へ。当屋敷は維持されず早々に焼失し、農村に戻るが、明治になり七条停車場(現京都駅)が設置。

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