令和6年(2024)1月24日(水) 奈良県橿原市 大和八木駅~神武天皇陵~橿原神宮~畝傍山(199m)~イトクの森古墳~綏靖天皇陵 往復(8.7km 1時間22分)
関西出張3日目。本日は奈良県に宿泊。いわずとしれた日本古代の史跡に溢れている。宿泊地がある大和八木駅の近くから南下すると初代天皇の神武天皇陵があった。
【神武天皇】
古事記、日本書紀によると天照大神の5世孫で、誕生は紀元前711年で127歳で没したという。奈良盆地一帯を征服して遷都した畝傍橿原宮で即位して日本国を建国したという。
神武天皇陵から少し南下し、森の中に橿原神宮があった。境内は広大である。
【橿原神宮】
主祭神は神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命で、明治天皇により1890年に官幣大社として創建。昭和16年に期限2600年奉祝式典が挙行されたときは1000万人の参拝者がいたという。
橿原神宮の境内から畝傍山登山口があり、夕方で暗くなってきて登るか迷ったが、ネットで調べると往復2km程度なので登ることにする。夕方にも関わらず登山者が散見し、あっという間に頂上に到着。少し木立があるが、風景は見渡せた。
【畝傍山】
畝傍山(うねびやま)は、平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つで、瀬戸内火山帯に属する死火山。
下山し、登山口の付近をウロウロし、小さな神社みたいなところを訪問するとイトクノ森古墳だった。
【イトクノ森古墳】
橿原神宮外苑内の池田神社にある小型の前方後円墳ですが、前方部は既に消滅し、後円部の上には神社の小祠が建っています。古墳の前に「イトクノ森古墳」と書かれた石碑があるのですが、想像たくましく見ないと、古墳と気がつきません。神社の部分に高まりがある事は確かですが高さは2m程度かと思われます。この古墳が知られるようになったのは、1908年に前方部の土取りが行われ、その際に出土した土器や石器から、考古学者の高橋健自氏が前方後円墳は弥生文化圏で成立した可能性を示唆し、反対派の学者と論争が繰り広げられ、結局は高橋氏の誤りと判明しました。尚、この古墳は懿徳(イトク)天皇との関係で一時、治定候補地にもなったようです。(但し。懿徳天皇は欠史時代の天皇と考えられおり、その可能性はありません)見学は自由に出来ます。
帰りには、綏靖(すいぜい)天皇陵も見つけた。
【綏靖天皇】
皇室系譜に第2代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)。神武(じんむ)天皇の第3子で、母は媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。神武天皇の没後、庶兄手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って綏靖元年即位、都を葛城(かつらぎ)(奈良県御所(ごせ)市の南部)の高丘宮(たかおかのみや)に定め、同2年、母の妹五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)を皇后とし、同33年に84歳(『古事記』では45歳)で没して倭(やまと)の桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのかみのみさざき)に葬られたという。
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