鹿追町「神田日勝」関連史跡

旅ラン

令和6年(2024)3月10日(日) 鹿追町道の駅~北方の笹川地区~自衛隊駐屯地南側~神田日勝住居跡地~神田日勝美術館 14km 1時間58分

 鹿追町の道の駅に車を停めて、国道を北側に走る。昨日の疲れが残っておりスピードが出ない。晴れているが風があり寒い、手も冷える。それでも何とか、自衛隊駐屯地手前で町道に右折し、しばらく走り、高台に出て、そして又市街地に戻る道に右折すると、「神田日勝住居跡」の説明板があった。もちろん住居跡は残っていない。

【神田日勝(1937~1970)住居跡地】
 十勝平野の山塊、鹿追村(現鹿追町)に神田一家が辿り着いたのは1945年8月14日、日勝7歳のときのことであった。次男の日勝は中学卒業と同時に開拓農家を継いだが、傾斜地や大木の切り株が無数に残る、農地とは名ばかりの劣悪な土地の開墾に明け暮れる日々を送った。過酷な農作業のかたわら独学で絵画制作に没頭する日勝は、32歳で没するまでの25年間の歳月をこの地で過ごした。

 説明板をあとにして市街地に戻り、道の駅のとなりの神田日勝美術館を訪問。内部は写真撮影禁止のため、絶筆となった馬の絵はネットからの拾い物。

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