音更町東士狩地区

旅ラン

令和6年(2024)3月20日(水祝)
音更町門前会館~道道239号線~万年橋手前で右折道道214号線~妙法寺手前で石碑発見~道道133号線へ左折~誉会館で引き返し、家畜改良センター十勝牧場下~道道133号線へ右折 距離16.4km 2時間10分

 祝日なので、吉方の美幌町方面に行こうとしたが天気が芳しくなく、今日も宮の森風水さんで吉方とされている西方の音更町へ。今日は先日、鹿追町から音更町に戻る時にたくさんの石碑を見つけたので、その方面を走ってみる。
 車の駐車場所に迷ったが、門前会館さんに停めさせていただき道道239号線を西に走り、道道214号線に右折してすぐに、石碑群を見つけた。この辺は東士狩地区といわれ、富山県からの入植者が多いのだ。
 もう少し北に走ったら、東士狩神社・東士狩百年記念館があったが、特段の石碑等はなく、また百宇年記念館にも入れなかった。

【開拓五十年記念碑】
 裏面にはたくさん文字が刻まれているが、逆光で不明。

【栄田外次郎之碑】
 裏面等にも特段の記載なし。

【開拓之碑】
 上記のとおり刻まれ、その下に「北海道知事町村金五書」と刻まれている。裏面にはたくさんの開拓先駆者の名前が刻まれ、次のように刻まれていた。「明治三十年開拓先駆者 此の地を拓き郷土を築く その功労を稱へ開拓七十周年を記念し開拓の碑を建立 永くその名を刻む 昭和四十一年九月建立 東士狩地区 住民一同。

【富山県「江波(よなみ)団体入植地】
 金属の標柱の横の説明板に次のとおり書かれていた。「明治三十年(1897)二月二十五日、富山県西栃波郡高波村大字江波村の西嶋要次郎、中川磯次郎らは、同志を募り二十三戸四十一名の記名で「移住規約書」を作成、堅調に出願し郷土を出発、農民だけではなく大工や壁屋も参加しました。
 この団体は、西四線から西八線、七号から十二号の東士狩地区に入地しました。彼等は団体移住規約で「各自同一ノ権議ヲ有スル自作農二シテ、土地貸下期間中ハ小作ヲナス」とし、「百姓は作物の看護人」(中川次吉)として開拓に精を出しました。
 また、簡易教育所・寺院・信用販売購買利用組合を設置、郷土の獅子舞の保存継承等、地域発展の基礎をつくりました。音更町教育委員会 平成二十五年十月」

 

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