岩見沢市西川町「開基之碑」・出雲神社

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024年)5月10日(金) 岩見沢市役所~(道道687線)~西川町達布~(北西に延びる農道)~(岩見沢市街に戻る農道)~岩見沢市役所 当日の走行距離 22.3km 3時間3分

 岩見沢市西川町

 岩見沢市街で突っかかり転んでしまった。右手を少し擦りむいたが骨や腱は異状ない。コンビニで絆創膏を買って指に巻いて走り続ける。西川地区で開拓記念碑を見つけた。

【開基之碑】岩見沢市西川町
 表面には上記のとおり刻まれ、「岩見沢市長 国兼孝治書」と刻まれ、裏面には次のとおり刻まれていた。「明治十七年福井県人渡辺曽作が入地 更に同二十年山口県の人中村萬吉入植し開拓の鍬をふるう 千古斧鉞の入らさる未踏の原始林にいどみ 丈余の雑草を刈払い風雪寒冷の地に人々集まり来て開墾に精励し百年の星霜を記す 顧みれば開拓の艱難辛苦筆舌に尽し難く 先人の不屈な開拓者魂に畏れるのみ 母なる川幾春別川も毎年のように洪水を繰り返し度重なる大冷災害にもめげず試練に耐え忍んで将来の大成を結ぶ。土功組合の設立により美田の里となり 更に今日農業構造改善事業によって 区画整然たる圃場の並ぶは 農業近代化の先駆者として進取に富んだ風土の故なり 堅忍不抜の志を継ぎ 協同一致して更に産業の隆盛に励まんと ここに百年の歴史を踏まえ 先人の苦労を偲ぶとともに温故知新 精気新たにして現代の苦難を克服し未来への飛躍を希う 先人の偉業をたたえ 現在の繁栄に感謝し来歴の一端を記して永く後世に伝える 昭和六十二年十一月六日」

 その近くに出雲神社があった。

【出雲神社由緒】
 明治25年青木利一氏を始め岐阜県人10戸が開墾に着手。明治42年4月1日出雲神社を設立。(以下、略)

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