岩見沢市(馬頭観音・竣工碑・いわみざわ圃場整備事業十五年記念塔)

開拓の歴史以外の石碑等

令和6年(2024年)5月10日(金) 岩見沢市役所~(道道687線)~西川町達布~(北西に延びる農道)~(岩見沢市街に戻る農道)~岩見沢市役所 当日の走行距離 22.3km 3時間3分

 田んぼの真ん中に馬頭観音の碑があった。

【馬頭観世音・祈願交通安全】(概要 カタカナをひらがなに)
 碑文 此の碑は開拓の先人と苦楽を共にし辛酸の末不運にして弊した数多くの馬が此の地に埋葬してあり今日の近代的発展の礎となった馬の霊を慰め冥福を祈り併せて交通安全を祈願する為の碑 昭和52年8月建立 青木地域一同

 もう少し走ると、道営美唄達布軌道客土事業竣工記念碑があった。
【竣工】

 旧北村まで走ろうと思っていたが、右折して農道を走ると、やたらとダンプが走っており歩道がなく危険であり、広域農道のところで岩見沢方面に右折する。

 ひょうたん沼公園のところに記念塔らしきものがあった。説明板は水平になっており、長年の風雨で見えずらくなっているが、ネットから転載ができたい。

【いわみざわ圃場整備事業十五年記念塔】
 岩見沢は明治十七年、十八年の両年に亘り、鳥取、山口県などの士族の集団移住によって開拓されて以来、北海道特有の厳しい自然条件のもとで先人達のあらゆる悪条件にも屈することなく、困苦欠乏に耐え努力された結果が今日の岩見沢市農業の基礎となっている。その後昭和四十年代より日本経済の高度成長に伴い他産業との所得格差を無くし、労働力不足に対応する機械化等、農業構造の改善を行い、生産性の高い農業の確立を目指し、昭和四十五年に岩幌南地区圃場整備事業に着手以来、西川、幌向川右岸、岩峰、大願、西川第二、上幌向、稔、宝水、川向、上志文、志文地区の道営十二地区、毛陽、大願地区の団体営二地区、計十四地区、実施農家八三六戸、実施面積三,六二二ヘクタール、総事業費二九一億一三八一万円の巨費を投じ、受益者の強い熱意と各農業関係機関の協力をあおぎ北海道、空知支庁の指導のもとに推進して来たところであります。この「協調」の塔は近代化農業の創出を目指した圃場整備事業が十五周年をむかえるにあたり、その偉業を讃え、あわせて永遠に自然の摂理になぞらい、人の最大の英知をかたむけながら、互いに協調をはかりより一層の発展をこいねがい、記念事業の一環として、岩見沢市圃場整備事業十五周年記念式典実行委員会が建立し、市に寄贈されたものです。昭和六十年十月三十日

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