南幌町幌向村駅逓所跡・菩提寺・板垣贇夫関連史跡

廃線・廃駅

令和6年(2024)6月8日(土) 北広島駅~(道道1080)~南幌町~(国道337)~幌向運河近くの農道~東野幌~野幌森林公園~新札幌駅 36km 5時間24分

 南幌の市街に入る。市外は特に史跡はないかと思ったが、市街地の北側に幌向村駅逓所跡があった。古い建物が残っており、説明板があった。

【幌向村駅逓所跡】
 旅客の宿泊官馬を使って貨物の運送等に利便をもたらすねらいに、明治45年松田与三氏によって、この場所に開所し、交通不便な地帯の文化の発展に大きく貢献した。昭和5年夕張鉄道の開通に伴い昭和6年11月で廃止となった。

 駅逓所の前にお寺があった。何と「伊勢開墾由来之寺 曹洞宗拈華山 菩提善寺」で開拓の功労者「板垣贇夫(よしお)」ゆかりのお寺で石碑等がたくさんあった。

【板垣贇夫翁と伊勢開墾】
 伊勢国藤堂藩士族板垣贇夫は 明治という新たな時代を迎え 北海道開拓を志「北海道移住組合団体」を組織 明治26年に調査団を派遣し翌年本格的に開墾が実施され「伊勢開墾」と称された 菩提寺境内の殆どが板垣が開墾した土地である 板垣が開基である菩提寺に墓碑が建立され 後に顕彰碑 銅像も設置し頌えられている

【菩提寺縁起】説明板概要上記と重複は省略
 板垣は出身地津市近郊の岩田村農民の行き詰まりに危機感を持ち一大決心し新天地北海道への移住団体を結成。その年自らを含めた先発隊4名にて調査、幌向原野を開墾の地と定め、翌27年に30家族の団体が北海道に渡った。伊勢開墾と称される三重県人最初の北海道開拓である。この団体の心の支えとして旭地了寛尼僧が同行、庵を建て釈迦牟尼佛をお奉りしたのが同寺開創である。明治35年板垣より土地の寄進をうけ、現在地に本道を建立。板垣は大正8年に逝去、翁を慕う旧開拓団関係者を中心に墓碑を建立、平成30年に百開基。南幌町三重地区は伊勢開墾により拓かれた土地である。また岩見沢お茶の水、上富良野、赤平平岸、芦別等も板垣が中心となって開拓した地区であり、板垣は北海道開拓功労者となっている。 

【板垣贇夫顕彰碑】上記と重複情報は割愛
 同氏は、藤堂藩士板垣信因の長男として安政4年に津藩江戸染井藩邸で生まれた。11歳の時に地元岩田村に戻った。範塾で文武両道を学び18歳で見え師範学校予備校の教師に採用され多くの子弟を育て上げる。26歳の時農業に転向、荒れ地の開墾の傍ら無学な人を助け農家の福利増進に貢献。34歳の時岩田農業組合を組織し組合長となる。農民の学業にも心を注ぎ又消防組も組織し、「今尊徳」としたしまれた。(北海道への移住経過は上記のとおり)素朴で温和な人柄と伝わる。常に前向きで将来を語ることに楽しみに暮らすも晩年は喘息に悩まされ、大正8年2月7日芦別にて生涯を終える。享年64歳。

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