美瑛町開拓馬記念の像

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)6月9日(日) 美瑛町丸山1丁目

 びえいヘルシーマラソンのゴールの直前、右手に馬の像と碑文が見えた。ゴール後立ち寄ることにする。

【開拓記念之像】
 馬の彫像の下に上記のとおり刻まれた御影石がはめ込まれており、その下に次の概要のような碑文が刻まれていた。「開拓馬記念の像由来 本町の独立は明治34年神楽村より分村をもって嚆矢。当時の戸数297戸に760頭の農耕馬を記録。開町既に80星霜先達は千古斧越の原始林の開拓に挑み今日では田畑1万ヘクタールに及ぶ農業を形成。本町の産業は農業が基幹であり農耕馬あってこそ今日の発展があった。馬の飼育頭数。大正5年903頭、昭和元年1698頭、同10年2132頭、同20年2117頭、同30年2490頭、同40年1540頭、同50年307頭、同52年167頭、農耕馬は昭和30年を最高として農業の機械化が普及されるとともに農耕馬は幻想の一途。今や好事家が細々と飼育。顧みるに本町の農林業は人馬一体となってこそ今日の繁栄をもたらしたが、忘れてならないことは国防上からも戦力として日清、日露、大東亜の戦争に徴用されて従軍し戦場の露と散った幾多の農耕馬があったことである。私共は本町の国防に人馬一体となって繁栄をもたらした事実を後世までに伝えるため町民各位の賛同を得てこの像を建立し、永遠にその功績をたたえるものである。昭和52年9月15日遠藤華嶂書」

 裏面には数多くの賛助寄附者氏名が刻まれ、その隣には「馬魂碑」があり「陸軍中将鯉登行一題」、裏面には「昭和17年5月建立」と刻まれていた。

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