勢雄開基百年之碑

石碑等(開拓記念碑)

 令和6年(2024)6月22日(土)更別村字勢雄169 

 更別村の勢雄(せお)地区の勢雄小学校跡地に開拓記念碑があった。石碑ではなく近代的なモダンな金属製だった。隣には小学校の閉校記念碑であった。

【勢雄開基百年之碑】
 金属製の三つパネルの左側に上記のとおりはめ込まれ、真ん中はスズランのパネル、右側には「100MEMORIAL」と刻まれ、丸型の穴が開いている。左側のパネルには次のとおり碑文が刻まれていた。「碑文 この地はかつて中川郡幕別村似平と称したが、更に古くは下イタラタラキと呼ばれてた。アイヌ語で「歩くとゆらゆら揺れる地」の意で、この地一帯が低湿な泥炭地であることを示している。また幾多の川が流れていて、その一つは「貝の多い川」を意味するセオイヌップと呼ばれる川があったことから、勢雄の地名はそれに由来すると思われる。
 明治38年、山田嘉一郎氏が現在の字勢雄東1線11号付近に開拓の鍬を降ろした。その後旧広尾道路の開通に伴い多くの入植者にとって開墾が進められ、打ち続く冷害や融雪洪水に苛まれながらも、巨柏立ち並ぶ大地を切り開き、耕土を広めていった。
 昭和23年4月1日、勢雄地区は河西郡更別村に編入されたが、開拓の志は衰えることなく続く世代に引き継がれ営々と農業近代化に向けて邁進した辛苦の成果が今ある豊かで美しい郷土である。
 ここに開基百年を迎えるに当たり、先人の偉業を偲びつつ尊敬と感謝の念を捧げ、その偉大なる足跡を永く後世に伝えるとともに、開拓二世紀に向けて麗しい郷土を築くために我等も一致まい進することを固く誓いこの碑を建立する。
 平成16年4月3日 勢雄開基百年実行委員会」

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