湯島神社

神社仏閣

令和6年(2024)6月26日(水) 東京都新宿区四谷三丁目~筑土八幡町~水道橋~御徒町 8.2km

 東京出張。用務は次の日だが前日入り。宿が新宿なので、墨田区の戦災を免れた下町まで走ろうと考え出発。しかし昼飯がサラダだけなためか、腹が減って走れない。飯田橋、水道橋をようやく過ぎて上野に近づいてくる。今日の目的地である墨田区はまだまだ先だ。暗くなってきて腹も減ったので、何十年か前に訪問した湯島神社を訪問して今日のラン旅は終えることにする。

【湯島神社】東京都文京区湯島3-30-1
 公式ホームページから御由緒を転載。湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
 その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

 上野の御徒町、「おとんば上野店」(東京都台東区上野6丁目7-13)で、今晩の晩酌。

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