藩校明倫堂跡・松尾芭蕉句碑等

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和6年(2024)7月4日(木) 約10.5km 1時間47分 山形県新庄市 新庄駅前の宿~山の神神社ブナ林~水魂碑~新庄藩主戸沢家墓所~正一位出世稲荷~雪国救済運動発祥地史跡~戸沢神社・新庄城~藩校明倫堂跡~明治天皇御駐在址~芭蕉句碑

 新庄城跡をあとにし宿に戻る途中もたくさんの史跡を発見。「こぶとり爺さまとおり」を通る。この他、昔話の物語の名前を記した通りが多いようだ。お堀の近くには「時金堂跡」と「二の堀跡」の標柱。

【頌徳碑】
 大手町の医師会館のところに「頌徳碑」が立っていた。概要はよくわからないが、ホームページによると、最上郡医学書跡の記念碑のようだ。

【藩校明倫堂跡】
 藩校「明倫堂跡」の標柱があった。ここは「明和年間に創設され、幾多の俊秀を育てた。安政五年この地に移され、明治4年まで続いた」と書かれている・

【明治天皇行在所跡】
 これも碑文がたくさんかかれてあり、不明であるが、明治14年に山形、秋田と行幸啓が行われた。

【松尾芭蕉句碑】
この辺は松尾芭蕉の奥の細道の舞台でもある。松尾芭蕉は元禄2年、門人曽良ととおもに6月1日新庄城下に入った。地元では城下の有力町人澁谷甚平(俳号風流)が接待したという。そこで詠まれたあいさつの三つの句のうちの一つが「風の香も南に近し最上川」だという。

 昭和チックな飲み屋街を通って宿に帰る。

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