上杉鷹山公銅像等

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和6年(2024)7月5日(金)米沢市中央~米沢城址~米沢藩主上杉家墓所 5.5km 1時間14分

 そして、極めつけ「上杉鷹山」関連の銅像、説明板などである。これもたくさんあった。

【上杉鷹山公】の座像(説明板)
 上杉家10代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代瑞いつの名君。14歳の時から、折衷学派の儒者細井平洲に師事し17歳で藩主となるや、大倹令、産業開発、藩校興譲館の創立、興起の粛清などを断行。凶作に備え、城下や村々の蔵にもみを備蓄し、天明の飢饉には領民に配り一人の餓死者も出さなかった。11代治広公に家督を譲る時民主主義の原点を示した「伝国の辞」を与えた。米国大35代大統領ジョンFケネディは政治家でもっとも尊敬する人は、上杉鷹山公である述懐したことはあまりに有名。「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成さぬは人のなさぬなりけり」は万事についての可能性を示す遺訓である。(以下、略)

【上杉鷹山公】の銅像
 上杉鷹山公の銅像の横に「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成さぬは人のなさぬなりけり」が刻まれ、その横に「上杉鷹山公の誓い」碑があった。その隣の自然石には何が刻まrているかわからなかった。「上杉鷹山公の誓い 受けつぎて 國のつかさの身となれば 忘るまじきは民の父母 明和4年4月17歳にして藩主となった日に詠んだといわれる。その師細井平洲戦線に学んだ名徳の秋元のままに(不明)民の親となるべき覚悟を凝縮した誓の文である。」

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